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・女性向け二次創作サイト・「フルメタル・パニック!」宗介×かなめを取り扱っております・二次創作物、ノーマルカップリングの苦手な方、15才未満の方、荒らしさんはご遠慮下さい
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「…あんた今日来れないって言ってなかったっけ?」
 軽く唇を尖らせた千鳥かなめは、まあいいわ、と腰に手を当てるとふんぞり返って、少し高い位置にある現役傭兵兼護衛、兼手のかかる同級生の顔を見た。
 目の下にうっすらクマのある相良宗介が、何の指示もなしにふさわしいドレスコードに添うことなど期待できない。ゆえに千鳥かなめは不作法を承知で、相変わらずむっつりと無愛想な相良宗介の眼前に、人差し指をびしりとばかりに突きつけた。
「今日の用事は知ってるわよね?とりあえずタオル二枚、それからこないだ海に着ていった水着と半ズボンとビーチサンダルとTシャツ持ってきて。今は着てこなくていいから」
 無表情ながらも理解不能といったふうの彼の尻を蹴り上げる勢いで、かなめは「早く!」と叫ぶ。彼の出発前から決まっていた予定とはいえ「正式な」登校日ではないし、早起きの番犬はハナからいないものと思いこんでいたから列車の時刻がギリギリだ。
 乗りそこねたところで十五分もたたないうちに次は来るけれど、明け方に帰ってきたという彼が、自分と共に登校するつもりでいるらしいことに気が急いた。
 いちおう、出席は付かない、って言ってあったよね。
 自分の護衛と言っても彼は既にいざというときの「保険」であって「本業」の用が入れば、なるべく外出するなだの不審者に気をつけろだの言うだけで、…結局、そちらを休んで以前のようにべったりと側にいることはない。本業のために休養が必要となればそれも仕事のうちに入るだろうから、単位に関係のない登校は、彼自身の意志による、と言えないこともない。
 ひそかに懸念していたように包帯を巻いた箇所も見当たらず、湿布の匂いもしないから、お疲れ気味とはいえ無傷の健康体、と見なしてもいいだろう。
 ま、まあ、あいつが来ると思って用意したわけじゃないんだし!……その手の感想は、期待するだけムダ、だったし。
 肩にかけた大きめのトートバッグの中身を頭の中でチェックしたかなめは、持ち手をつかんだ手に力をこめる。皆で海に行った時のドタバタの中に、彼の自分に対する感想、特に見た目…は「水に濡れても大丈夫」という機能的なこと以外は、入っていなかった。
 真面目な夏期講習など親と同居でも行かない身だ、単発のバイトと学園祭の準備以外に特にはっきりした予定のない夏休み、それでも高二の夏休みは人生に一回こっきりで。…「留年したら何度でも味わえる」とは意外にツッコミの厳しい常磐恭子の弁だが、そんなのは邪道である(はじめから「十六歳の」とか「十七歳の」と言えばよかったとは自分でも思った)。
 ちょっとばかり特殊な経緯で知り合って、特殊なところも少しとは言え知っている休みがちなクラスメートは、生真面目をとおりこしていっそクソ真面目な表情で、学生カバンとは別にくすんだようなオリーブグリーンの重そうなバッグを肩から下げ、きびきびと走ってくる。
 スポーツ選手にしては軽さが足りない、女の子とお出かけ~って感じじゃもっとない。遅刻しそうっていうノリ…だと、あいつもっと違う気がする。青くなってそうだし、せかせかするより気が重くなるタイプっていうか。
 今は、と見やるとむっつりとした顔にはこれといって目立つ違いもない「いつも通り」、機嫌はよくも悪くも無さそうだ。
 ま、いっか。…知らなきゃただの雑用だし、まだ教えてないし。教えたらまた危険だの罠だの爆弾だの言い出してジャマしそうだから、ないしょにしとく方がいいのかも。
 軍およびその関係者とは無縁の人生を送ってきた女子高生は、学級委員にして生徒会副会長の風格でもって彼が隣に並ぶと同時に腕組みをしたまま「よし」と軽くうなずいて見せると、駅へ向かって歩き出した。

 陣代高校の用務員である大貫善治氏からは、以前より「親戚の法事のため夏休み中に休暇をとって帰省する予定である、よっていくつかの用事を生徒会に代行して欲しい」という旨の通達があった。
 そのことは安全保障問題担当・生徒会長補佐官である相良宗介の耳にも入っていたから、陣代高校敷地内の草木に水やりをすることについては彼も異存はない。
 それにしてもあの人物、実は旧日本軍の生物兵器であったりはしないのか。彼であれば、一瞬で出先から帰還して陣代高校を撃沈する勢いで散水を行いながら目的地へと飛び去ることも可能のように思えるのだが。もしやこれは何かの陰謀だろうか。
 男子更衣室にてひとり大きなため息をついた宗介は、ひりひり痛むあごを撫でながら「あんたもさっさと着替えてきなさい!」と言い捨てて去ったかなめの後ろ姿を思い浮かべる。
 この機会に増設を、といくらか持参してきた対人地雷やセンサー及びそれに連動するマーキング装置、レーザーガンの類は鞄から取り出すそばから取り上げられてしまい、ハリセンによる殴打だの蹴りだのをしこたま浴びせられたのも、それが遺憾であるのも相変わらずだ。
 彼女がそれらを必要である、と専門家である自分のように「正しく」認識していないことに苛立たないわけではない。けれど、それが彼女なのだということに、あきらめに似た、だが無力感とはちがう奇妙な何かも確かに感じる。
 彼女の行き先は水泳用に使用されているプール脇の女子更衣室だ。同行を申し出るとアッパーで殴られたが、その威力から推し量るに彼女は自分が仕事で出立した時点より息災であるようだった。
 宗介は再びため息をつき、着替えだけ詰めているには大きすぎ重すぎる鞄の中から衣類を取り出した。
 陣代高校内ででも自分の普段にしてもあまり着用する機会のない私服は、先日学友とともに海に行くことになった際、千鳥かなめがふさわしいとして購入を勧めてくれたものである。
 買い出しの際の彼女はおおむね上機嫌で、珍しく別れ際までそれは続いた。その後ひどく機嫌を損ねてしまうことも何度かあったけれど、今日はまだ「大嫌い」とも「帰れ」とも「とっとと仕事に戻れば?」とも言われていない。
 久しぶりに見る制服姿の彼女はとても健康的で明るくて、敵に囲まれて逃げ込んだ暗く寒い洞窟を抜けてのちようやく顔を上げることが叶う状況で拝めた朝日によく似ていた。
 千鳥かなめと顔を合わせるだけで「暗い」と必ず言われてしまう自分の印象までもが、明るく照らされるように感じる。
 自分の見慣れた集団からすると儚すぎるほどほっそりした体の彼女の、一体どこからあれだけのパワーがあふれてくるのだろう。
 一般人である以上、自分たちのように鍛えてもいないぶん相応に疲れもするようだが、ときどき彼女の力は無限なのではないかという気分になる。  
 それは常に己の余力の残量をはかりながら戦わねばならない身からすると、とても安心なことで、彼女が味方であるということで何か自分まで底上げされたように思えてくる。
 そしてそういった士気が本当に奇跡を起こすということも、彼女の傍らで幾度か学んだ。
 ただの楽観ではない、と無責任な精神論を軽視していた自分にでさえそう思えるほどの何かが彼女にはある。それは自分の部隊の他のメンバーも認めている。
 コードネームの通りの「天使」だとはばかることなく言う者も艦の中には何人もいて、千鳥かなめ当人は知らないことだし知らせる必要もないことだと思っていたが、艦長であるテスタロッサ大佐の見解は自分とは異なるようだ、とメリッサ・マオ曹長とクルツ・ウェーバーが意図の読めない不穏な笑顔で言っていたのを思い出す。 
 それを聞いたとたん、何故かわき起こったむかむかするような不安に追随するように、数週間前、敵地である貨物船の中で自分を敵と間違えたらしく工具で攻撃を加えたあと、まっすぐ自分の胸に向かって飛び込んできた彼女の感触が再生されて、着替えを取り出す手の動きが鈍くなった。
 怖かった、と言っていたから味方にすがりつきたくなったのだと思う。それでも、咄嗟に自分を味方と思ってくれるだけの信頼は得ていると感じて安堵した。
 上官であるテレサ・テスタロッサ大佐と千鳥かなめを人質に取られた折り、彼女を先に敵に解放させなかったことで、彼女の信用はもう得られなくなってしまったかもしれない、と想定していたからだ。
 テスタロッサ大佐の運動神経が一般的な軍人とまで行かずとも、人並みであったなら自分は民間人である千鳥かなめの解放を優先しただろう。
 だが実際には、テスタロッサ大佐は身体能力においてはその希有で非凡な能力と引き替えにしたかのごとく、何もないところでも簡単に転倒するような人物で、逆に千鳥かなめはといえば、手練れの軍人に瞬発力で勝ることさえあるという、凄まじい運動能力の持ち主だった。
 ゆえに自分はあの時ミスリル所属の傭兵というよりはおそらく自分自身の判断で、その方が全員生き残れると踏んだ。
 結果として、それは間違いではなかった。
 けれど同時に、千鳥かなめに己の意図とは全く異なった解釈をされ、その上で自分から距離を置こうとするのではないかという危惧が発生したのも事実である。
 一般人を後回しにして、所属する組織の上官を先に解放するような「護衛」を信頼し続けることなどできるだろうか?
 自分ならば、否、である。自分でなくともそうだろう。
 だが自分は、それをやってしまった。状況がどうあれ、各々の立場をかんがみれば埒外もいいところだ。
 ならば未だに自分が彼女に信用されないのも当たり前の話だろう、と思いつつも宗介は体中にのしかかる重力に耐える。
 自分にとって彼女は、味方だ。紛うことなく、そう感じる。
 確かに利害は一致するが、自分たちのように報酬も出ずその任にもついていないのに、自分や仲間を何度も助けてくれている。
 ここ一番のいざというときに、なぜか仲間である軍人ではなく一般人の彼女を頼ってしまったことが既に数度、よく考えても自力で切り抜けるには確かに難しい事例ではあった。
 それでも、今までは彼女無しで生き抜いてきたというのに。
 技官であり艦長であるテレサ・テスタロッサ大佐も、軍人になって間がない上に資質的には彼女に劣る肉体的素養の持ち主ではあるけれど、それでも実戦経験もそれに近い訓練にも耐えて、猛者どもを抑え従わせる現役の艦長だ。
 つまり自分が頼りにするべきは上官のテスタロッサ大佐であって、護衛対象のかなめではない。
 にもかかわらず素人で一般人の彼女は、その特殊能力を発現させて全員を助けることにためらうことがない。
 ミスリルという組織の慢性的な人手不足もあって、被保護対象の彼女にも出来ることは頼らざるを得ないのが自分たちの現状だとはいえ、それはとても特異な事例だ。
 彼女にその自覚は無く、―どうしたことか、自分も彼女にそういったことを説明するのに、心理的な抵抗を覚えていることもあってか、彼女は自分がどれほど関わった人間に一目置かれているのかを、全くといって良いほど知らない。
 その彼女が、ほんの一瞬とはいえ自分の腕の中で、何のわだかまりもなく自分のことを心配していたと言った。
 敵地の中で油断するわけにはいかず彼女にだけ集中していられなかったので、敵を倒してから少しでも落ち着ける状況で続けて欲しいと思っていたが、彼女にとっても「そういう場合じゃなかった」らしい。
 記憶の中で思い出せる限りの情報を再現しても僅かな時間で、気丈な彼女が無条件に自分を頼るなどという出来事はそう起こらないということも、おぼろげながら理解している。
 つまり、こういった安全な状況であの続きを望んでも、きっとその機会は得られないということだ。
 宗介は重くなりかけた動きを律するために、何か解決策につながる情報は無いかと脳内を検索した。
 …一応、先日皆と言った海で彼女を救出に行った際、彼女と至近距離で対話する機会を得はした。
 こともあろうに夫でもない不特定多数の男どもの視線の中、下着姿よりもあらわに肌をさらした彼女の感覚は一体どうなっているのだろうと困惑し、今でも思い出すと腹の底で何か煮えるような胸の悪くなる思いもしたが、…どのみち自分がもっとも彼女の側にいたのだから、彼女の身の危険は解消できた。あの時に限りではあるにせよ、それは今後の課題として当面は「解決済み」扱いでいいだろう。
 ただ、あの折りから、何とはなしに気になることがある。それは以前彼女の制服姿を間近で見たおりから、うっすら思ってはいたことではあったけれど。
 金髪で阿呆かつ品性下劣な同僚が、やたらと自分に教えたがる日本語の中には耳慣れないものが多く、どうも日常的に使用するにおいて危険を感じるので主にカリーニン少佐に教わったものにかなめや恭子をはじめとするクラスメートから学んだ語彙を交えて会話しているが、かといって記憶から消去されているわけではないし参考知識として脳内には保管されてもいるそれらの単語のうちのいくつかに、どうもこれが当てはまるのではないか、という事例が徐々に増えてきているのである。
 同志でもあり戦友でもあるクラスメート、陣代高校におけるひとかどの人物にして罪も汚れもない己の護衛対象に、よりによって「あの」クルツ・ウェーバーの語る異性に対する形容が合致するとなれば、ゆゆしき問題だといえる。
 例えるなら柔肌、であるとか、柳腰であるとか。
 巨乳だの美乳だのはクラスメートも使うが、あまり衆目を浴びる場所で使うには穏当ではないようだ。柳眉は漢文の授業にも出たので問題はないだろう。才色兼備や眉目秀麗も同じくだ。小股の切れ上がった、は意味が掴めないので使用しない方が安全かと思われる。
 だがクルツの奴の価値観での高評価ということは、彼女にとってあまり名誉なことではないのではないか。むしろ不名誉と言えるだろうそれら語彙が、遺憾なことに周知の事実らしい、というのが、どうにも落ち着かない気分になる。いっそ不快である、と言い切ってもいい。
 健康で栄養が行き渡っているなら、女性の体はその特徴を大きく示すだろうし、髪も肌も内臓の健康状態を示す以上は「理想的な健康体」という言葉で集約出来る。それ以外の形容は過剰というか、必要以上に何らかの方向性を示すように思えてならない。
 凪いだ海上をゆるやかに落下しながら、危険の無いようにと抱えていた腰の細さも密着した肌の薄さもやわさも、彼女の特徴として記憶済みだ。
 少し笑いを含んで拗ねた風を装おうかなめの穏やかな声が、身動きの取れない体勢でのど元をくすぐるようにころころと響いて、ふとこんなふうに海の見えるところで二人きりで落ち着いて話が出来たら、せめて何か気の抜けることでもしながら、ふだん世話になっていることの礼を言えたならと思った。
 思い当たる場所はある。思いつく限り安全で自分しか知らない、しかも海に近い場所。
 一般人の彼女をそのまま誘うのは難と言えば難だが、上手くすれば、大佐殿の示した「日を改めて彼女と話をするつもり」だという計画に乗って実行できる可能性は、ある。
 表情を引きしめてグレーの無地のTシャツを頭からかぶった宗介は、脱いだ着替えを鞄に詰めた。
 気分が落ち着かないのは装備が少ないせいだろう。
 かなめが海に行く前に水着と一緒に選んでくれた私服は、普段自分の着ているものとさして変わらない見た目のようだが、軍服より明らかに頑丈さに欠ける。カーキ色のハーフパンツも、身体の保護を思えば丈の長い方が望ましい。ビーチサンダルなど素材も足をおおう部位の少なさも、頼りないの一言だ。 
 何より下着の代わりに水着を着てこいというのがわからない。用件の内容からして水濡れ必須ゆえの装備なのだろうが、ならば着替えで事足りるはず、と宗介は首を傾げた。
 待ち合わせは校庭に近い花壇や植え込みの前で、かなめからは近くの水道からスタートして水を必要な場所に撒きながら校内を回る、との説明をされている。
 林水敦信に次ぐ地位の生徒会副会長だけあって、千鳥かなめの説明は的確かつわかりやすい。その目的だけに特化した計画であるなら、もっとも効率的なコースを取っていると宗介にも見えた。
 これでもう少し安全面に配慮した思考をしていれば大したものだろうに。 
 実に惜しい、と、指示にあった必要な道具を一通り揃えながら彼女に欠けているもっとも重要な発想をどう補うかについて活発に意見飛びかう脳内会議を開催していたら、目を疑うような光景が彼の前に出現した。
「あ、ホース出しといてくれたんだ、ありがと。ここらもけっこうヤブ蚊出るらしいのよねー」 
 あんたも虫除けスプレーかけときなさいよ、と言いながら現れたかなめは、薄手の白っぽいTシャツに片側がつり上がったような妙な形のスカート姿である。
 全体の長さや生地の薄さもさることながら、短く結んだ側はほとんど足の付け根がむき出しという異様な形状で、一瞬唖然とした宗介は即座に浮かんだ感想と身体反応のすべてを脊椎反射で押さえ込み、手早く地面にうねる年季の入ったゴムホースをつかむと水道の蛇口をひねった。
「使う?スプレー」 
「いや。問題ない」
「あー、なんかすごそうなの持ってそうだもんね、あんた。スプレー大好きだし」
「………」
 いつも以上に無表情かつ興味のない様子の見た目とはうらはらに目のやり場に困った宗介は、かなめと背中合わせに立って反対側の草木や花壇にホースの先を向け、それとなしに周囲を警戒しながらまんべんなく水をかける。乾ききったコンクリートがゆるい炭酸水をまかれたように泡を立て、温度の高い土からゆらゆらとかげろうが立ち上った。
 あんたにホース取られたらあたしじょうろなんですけどー、と口をとがらせた彼女は、ブリキの園芸用如雨露に満タンに水を入れ両手で持ち上げてみて、うわ、と顔をしかめた。五リットルは入っているだろうか、思っていたより重い。
 いったん如雨露を地面に下ろして宗介の方を見やれば、こちらに背を向けた彼はそういった作業にも経験があるのか、手慣れた仕草で汚れたホースをたぐっては広い範囲に水を蒔いている。
 細かく散る水の流れに浮き上がる透明な虹にしばし見とれたかなめは、水がこぼれるのもかまわず、少々ヤケ気味に重い如雨露を持ち上げた。
 全く持てなくもない以上ホースと換えてくれというのもしゃくで、次は半分ずつ汲むか、とふにゃふにゃしたビーチサンダルの足下をふらつかせつつ、大貫氏の丹精のおかげか花の勢いのいい花壇の前に立つ。
 また地雷とか罠とか埋まってたら、締め上げてやる。
 中身をぶちまける勢いで傾けても、名人の手になる園芸専門如雨露から振りまかれる柔らかな雫はごくごく柔らかに優雅に広がって、丁寧に花々を潤していく。つまり、水がなかなか減らない。
 ま、まあ大貫さんがいない間に枯らしたりしたらコトだし。
 こういう時、男子がしんどい方を代わってくれるもんだなんていうのは、クラスの女子が困ってたら言うけど、ほんとはズルかもってあたしも何となく思ってたし。
 大丈夫か、なんて向こうから言われたら平気平気~とか自分で言っちゃうに決まってるし、そういう自分の方が、好きだと思ってるし。
 たいがいの男子相手だとそういうノリ、だし。
 ソースケならこういうときうまく助けてくれると思うのはどっちかっていうといつも何となくしちゃってる買いかぶりで、そもそもコイツはあたしのことを、本当はあんまり女の子扱いしてない。
 ASで投げてみたり暴走トラックの運転代われって言ったり、しょうがない事情だったとは思うけど、クルツくんが同じ事しそうかって考えたら、あんまし、ない。
 …テッサと一緒に人質になっててもあたしは後回しだった、とかも。
 実際、テッサよりあたしの方が足も速いし力も強い。結局あたしもテッサもソースケも生きてるんだから、あれでよかったんだと、思う。
 けど、―テッサの方が、組織にも、あいつにも、あたしより大事かもしれない、なんてことは、まだ誰もあたしには言わないしあたしも確かめたことはないけれど、正義の味方の秘密組織だなんて言ったっていざとなったら仲間の方を助けたいかもで、いくらソースケがあたしの護衛だってもそれはあたしより向こうの都合でそうなってるだけで。
 だったら、自分より偉い人で、あたしより可愛くて守りがいのあるあの子の方、が、―…
 だってあたしが知らないだけで、もうずっと前から二人にいろいろあったって、それは今もあったって、おかしくない、から。
 あたしは重いものを自分で持てる自分が好きだけど。
 あたしの知ってる限りの男子や聞いた話なら、重いものを自分で持てない、かよわい子の方が、守りがいもあるに決まってる。
 あたしだって、誰かに頼られたら嬉しい。なら、きっとコイツだってそれは同じで。
 誰かのお荷物になるのなんかごめんだって思うあたしのかわいげの無さは、あたしが一番よく知ってる。
 ブリキの持ち手の縁は出来がいいのか、握りしめても手の平が切れるほどには食い込まない。それでも充分痛かった。
「あーもー!!」
 空になった如雨露に思い切り全開にした蛇口から水をいっぱいに入れたかなめは、如雨露の先を抜いて幅の狭い芝生の上に置き、目についた溝に向かって枯れ草のくずや砂埃を思い切り流してやる。
 数度繰り返すとあたりは水びたしになったが、細かな汚れは片付いてすっきりした見た目になり、そのぶん重労働を一人でこなした彼女の紅潮した頬や首筋は流れる汗で濡れそぼった。
 少し離れたところからちらりと彼女の様子をうかがった宗介は、作業に熱中している彼女に文字通りの水をさせば恐ろしいことになる気がして、再び視線を戻す。
 常とは違い、長い髪を高い位置に結った彼女の真白なうなじに張り付く幾筋かの黒髪も、下に着ているものの色や形を透かすほど汗の染みたシャツも、長く眺めていることは酷く下衆な行いのように思われて、目を逸らしたかった。
 強く空気を吸い込めば、熱く湿った肌や粗く乱れた呼気の甘い香りに惑わされそうで、うかがうように細く息を吐く。
 これほど整った容貌と手練れの戦士に負けない意志を持つ彼女の側にいて、彼女を護る誇らしさだけでなく、自分がひどく穢れ劣った存在であるような心持ちになるのは、いったいどういうことなのだろう。それも一度や二度ではなく。
「だー、あっつー…」
 手の甲で額をぬぐいながらぼやいたかなめは、汗のにじんで色の濃くなった宗介の背中をふと見やる。炎天下のもとでも相変わらずな、いっそ涼しく見える顔でホースをたぐっている彼も担当箇所の水やりは終わったらしい。
 そんじゃ、いっちょ行きますか。
 ハデに水を使ってもろもろ洗い流した気分の彼女はニヤリと笑うと、仕上げとばかりにブリキの大きな如雨露いっぱいに水を入れて両手に抱え「ソースケ!」と叫んだ。
「何だ、ちど…」
 突然の大声に何ごとかとふり向く彼にむかって如雨露の中身を一気にぶちまけた彼女は、空になった如雨露を芝生の上に放り出すと、彼のひるんだ隙をついてホースを奪い取り先を強く押しつぶして「どりゃあああああ!!喰らえ必殺の超・流・波ーっっ!!続いてウォータージェットおおお!!とどめにうーやーたー!!」と先日暇つぶしに深夜再放送のアニメで見た水関係の必殺技らしい名称を連呼しつつ、返り血ならぬ返り水で自身もしとどに濡れるのもかまわず宗介に水を浴びせ続ける。
「どーよ、参ったか!!」
 もともと犬に似た印象の宗介は、濡れ鼠になるとぼさぼさ頭のせいで、ますます野良犬っぽい見た目になった。
 突然ただの水道水に攻撃された彼は、彼女の行動の真意が読めずしばし考えたが、要するに今のは自分の何らかの失態を止めるためのものではなく、年の近い同僚のクルツ・ウェーバーが彼にしかけるような単純なおふざけである、と理解したらしい。
 宗介は頭をかばっていた腕を下ろして口元をへの字にしたまま、ずぶ濡れのシャツを手早く脱いでまとめ、力をこめて思いきり絞った。足下に広がる黒々とした水たまりに、ジャっと水が落ちて飛沫が上がる。
 それから片手で無造作に濡れた髪をかき上げると、反射する光を避けるかのように目をすがめつつも淡々とした視線でかなめを見つめて、やはり感情の色の見えない口調で言った。
「濡れた衣類を着用していると体力を消耗する。着替えてこい、千鳥」
 重く垂れ下がるシャツを肌に張り付かせ頬や髪の先に水の玉を光らせて、帰国子女らしい仕草で「呆れた」と言わんばかりに肩をすくめたかなめは、水のあふれるホースを放り出す。うねるホースから飛び散る水がむき出しのすらりとした太ももに跳ねかかり、色の白い膝下に散っていた泥を洗い流してもおかまいなしだ。
「…うっさいわね、もう」
 忌々しげにTシャツを引きはがす勢いで脱いだかなめは、臨戦態勢、つまり一般人にはリラックスしているようにしか見えない体裁でいる彼女の番犬に向かって、派手な色柄の布地が申し訳程度におおっている形のよい豊かな胸をことさらに張り、馬鹿にしたように言い捨てる。
「何のための水着だと思ってんのよ。あんたもズボン脱いだら?」
 ふん、と肩先に張り付く長い髪を払いのけて彼に背を向け、かがみ込んでホースを拾うきゃしゃな彼女の足をつたって、透明な雫が滴った。
 その手がわずかに震えているのが気になって目をこらし、かなめの手のひらが真っ赤であることに気づいた宗介は、彼女が放り出した園芸用如雨露を素早く拾い上げて眉をしかめた。五リットル以上の容量はあるだろうか。長いホースはそれなりに扱いづらく泥を巻き込みもするが、素手で水を満たしたこの如雨露を持ち歩く方が負担は大きかったはずだ。
―また、だ。
 あられもない姿をためらいなくさらす彼女と二人きりであったことが、かえって致命傷のようで、打ちのめされた気分の彼はホースを片付けている彼女の滑らかな背を眺め、すぐに逸らした。華奢なかかとはきびきびとした足さばきで彼から遠ざかってゆく。
 自分ばかりが楽をしたことにも気付けず、彼女の戯れにも乗ってやれない。しかも、この国で当たり前とされる姿を直視することが出来なかったが故に、だ。
 それでも、彼女の一挙一動に息を飲むほど心が揺り動かされるのを、悟られたくはなかった。
 落ち着きのない人間に側近くを守られたい者などいるはずがない。同じ隊の兵であってもそんな相手は疎ましいというのに、ましてや自分は彼女の護衛なのだ。
 …いざとなれば彼女をあてにしておいて、現在の職場たる陣代高校では、むしろ彼女に庇護されている体たらくで、図々しいことだとは自分でも思う。
 しかも日常において彼女に親切に面倒を見られて、それが快い、などと。
 見ず知らずの相手どころか敵にさえ茶を入れてもてなすような彼女なのだ、きっと誰であろうと、今の自分のポジションに着いた相手には彼女は同じように親切にするのだろうに。
 否、…自分に対するそれ以上に、ということも有り得る。それだけの失点を重ねている可能性は十二分にあるのだから。
 じっとりとまとわりつくズボンをはいたまま片付けをする自分は、それまで想定もしていなかったような方向で惨めに思えて仕方がなかったが、それでも悲しいかな兵隊の性で、手足は勝手に動いて必要な作業をこなしていく。
 ため息をつきつつも絞ったグレーのTシャツを手頃な植え込みの上に広げて乾かしていると、如雨露の散水口が排水溝に転がっているのが目についた。

 ホースの汚れを流しながら巻き取り器のハンドルを回していたかなめは、熱くなった頬についでをよそおって水をかける。
 油断した。
 男の子って簡単に服、脱ぐんだった。
 かき上げられてまとまった髪の下、しぶしぶながら自分も認めている(正体を知らない子にはモテモテらしい)整った面差しをまっすぐに自分に向けた彼からしてみれば、自分はどうしようもなく子供っぽくてつまらない娘に違いない。
 同い年のあの子は彼の上司で有能できれいで可愛くて、ウィスパードとしても自分より数段優れていて、彼のことがなくたって自分が彼女に勝てるのは、身長と運動神経くらいしかない。この先たとえ自分がプロのスポーツ選手になったって、彼女に勝った気になんて一生なれないだろう。
 勝った気になんてならなくても、へーすごいねあたしには無理だわじゃあがんばってね、なんて言える通りすがりだったらよかったのに、あの子はどういう訳かあの馬鹿が好きなんだって、馬鹿当人に言わずにあたしに言った。
 だから、あたしには関係ないのに、関係あることになっちゃってるみたいで落ち着かない。
 コクるんなら当人にコクれつーのよ、まったく。余裕かましてんのかな。あの子ならソースケだって即オッケーでしょうよ。あたしにはぜんっぜんカンケーないけど!
 ばしゃ、と蛇口からホースを抜いてカランをひねり、最大水量で顔を洗うも水の勢いが強すぎて手のひらには少ししか水がたまらない。それでもむりやり汗を流して水も飲んで、少しずつ頭を冷やす。
 クールなタイプだなんて自分でも思わないけれど、だからこそ泣こうがわめこうが、することだけはしなくてはならない。誰かに甘えても甘えなくても、自分の面倒は結局自分自身にしか見られないのだ。
 ましてや今の自分は、家族と一緒に暮らしておらず、しかもそれを喜ぶべき身の上で。
 …一緒に暮らしていたら隠し事にしても巻き込まれる危険にしても、きっともっと大変だったろうとは思う。
 けれど彼の留守に、夜を越えるための音楽も長電話もあるけれど、おとなう者のない室内で一人きり、―彼は別に自分の家族でもなく、彼の任務で知り合っただけの、今はただのクラスメートであって。
 待ち合わせを何度もすっぽかしたことはもう、怒った。怒ってしまえば、残ったものは―…

あたしが 彼にそれを言うのは きっと間違い だから

 銀色の水しぶきの中に無骨なドアの向こうの水滴を滴らせた長い銀髪とただよう湯気が重なって見えて、固く目をつぶって頭を一つふったかなめは、やる事があってよかったかも、と巻き取り器ごとホースを持ち上げて蛇口の下にうんしょっと引き寄せ、落ちる汚れをきれいに洗ってしまう。古いホースは完全にはきれいにならないなりに、ずいぶんとさっぱりした。
 乾かすために日なたに運んだら、かなりの重量に如雨露と強い水流に痛めつけられた手のひらがひりひりして、かなめは、はっとした。
 あたし、じょうろの先っぽ、どこやったっけ。
 花壇のそばのどっかに置いて、たぶんさっき水を流したあたりか。
 思い当たりはするが、件の如雨露の真の値打ちは先端のつくりにあること、そのせいでこの類のものにしてはかなり値の張る物であるらしいこと、おかげで陣代高校の花壇や草木は近隣の高校よりも美しく整っていることを用務員である大貫氏に聞かされていた身としては落ち着かない。
 あたしにはあいつらのことなんかカンケーないのに。
 ひとの大事にしてるものを、うっかり投げちゃうなんて。
「だー、もう!」
 かなめは急ぎ足で現場に向かいながら思い出す。
 じょうろ本体はソースケが片付けてたっぽい。…あいつに水かけた時はもう抜いてたか。
 それでも一応聞かなきゃいけない、けど。先に探せるだけ探そう。
 下唇を噛んでうつむいたまま駆け出す足下、頼りない素材のビーチサンダルは急ぎの用には向かなくてもどかしい。踏み切りのタイミングと微妙にずれる足裏の感覚に舌打ちしかけたとき、ずるりと濡れたウレタンの表面が滑った。
 うわ、やっちゃった。
 服は水着だし濡れても汚れてもかまわない。けどこの格好で花壇に突っ込んだら、顔はともかく腕は擦り傷必須か。他の子にどうしたのなんて聞かれる前に、着替えて不参加、とか。
 渡すものだけ渡して帰っちゃおうかな。みんなには後で謝ればいいし。
 ソースケには、…なんて言えば。
 体の制御の効かない一瞬の間に考えだけはぐるぐる回って、頭部をかばおうとした腕は確実に花壇を囲う煉瓦の角や、ざらついた表面の犠牲になるだろうと覚悟を決めたかなめの胴を引っかけるように、太いものがやわい腹に食い込んだ。
 ぐえ、と思わずうめいた彼女をこともなげに引き起こして、ビーチサンダルごとすべる足場を蹴り飛ばすように駆けつけた相良宗介は、一拍おいて「怪我はないか、千鳥」と尋ねた。
 あの履き物は急を要する際には不向きと思っていたが、どうにか間に合った。だが鍛えられていない彼女の体は奇妙なほど柔らかすぎて、緊急時にふさわしい手助けにさえ傷を負いそうだ。
 この甘い匂いの濃さは、汗のせい、だろうか。
 濡れたせいか冷えた肌は滑らかというよりいっそ滑りやすくて、すり抜けて落ちて行きそうだった。
 必要以上に彼女にふれてはいけない。彼女はそれを望まない。彼女からふれて来る場合は彼女がそう望んだと判るけれど、自分から用もないのに彼女にふれるなどと。自分だって用もないのにべたべたさわられたら、同じ部隊の味方であっても不快になるのだから。
 強く奥歯を噛んで、胸の奥からこみ上げる熱を封じて遠くへ押しのける。
 そうしなければ遅かれ早かれ、彼女の傍らにいるべき人間は自分ではなくなってしまう。いくらでも交換の効く兵隊でしかない自分がここにいられるのは、ただ偶然パーツが合っただけのことなのだ。
「………最悪」
 なんでこのタイミングでコイツかな。しかも「ぐえ」とか言っちゃったよ。
「どこか打ったのか?」
 かけられた真剣な声に、うつむいたまま顔をしかめたかなめののどの奥が詰まる。
 いつも、こいつはこうだから。
 勘違いなんか、出来ない。
 あたしだって遠くから見てるだけなら、…遠くであの子のそばにいる、コイツのほんとの普段は、誰がどう見たってかっこいいんだろうって思う、から。
 自分を助けたまま体に回されている、この腕があったかいなんて、きっとあたしが思っちゃいけない。
「こっちの話よ」
 たすけてくれてどーもアリガトウと棒読みで言い置いて自分を支えていた傷あとだらけの腕から逃れたかなめに、視線を落として彼女の白いかかとを見つめた宗介は、控えめに用件を伝えた。
「ジョーロは、もとあった場所にしまっておいた」
「あっそ。あんたが使ってたホースはあっち。もう洗っといたから」
「…あのジョーロは君には少々、重かったのではないか」 
「べっつにー?そこらのホームセンターに売ってるもんがそんな重量物なワケないっしょ」
 楽勝だっての、と勢いまかせにいい加減なことを言い放った彼女は、NY帰りらしい軽い仕草で肩をすくめる。広げられた細い手のひらはまだ赤くて、宗介は奥歯を噛みしめた。
 手当ての必要などないだろう、だが見せて欲しいなどと頼んだところでせいぜいが冷やしてやって腫れの引くまで待つだけのこと、何の意味もない。
 彼女の行き慣れた店の常識すら、自分にはわからない。
 誰よりも有能さを示したい相手なのに、彼女の前では自分は誰よりも無能なのだ。
 知らず握りしめていた拾いものは、すぐにひしゃげそうな見かけを裏切り、思いがけないほど頑丈だった。
「ああ、あんたにはカンケーないと思うけど一応聞いとくわ。じょうろの先っぽ知らない?このぐらいの大きさで穴がいっぱい開いてる、シャワーヘッドみたいな銀色の部品なんだけど」
 良く響いてきれいだがぶっきらぼうな声で示された特徴に、宗介はしかめっ面を思わずゆるめて手を開く。彼女が形容したとおりの形状の部品がにぶく光った。
「これのことか?」
「そう、そんじゃ…って、ええ!?ちょ、なんであんたが持ってんの!?」
「そこの排水溝で拾ったのだ。ジョーロの部品のようだったのでな」
 立ち去りかけた姿勢のまま勢いよく振り向いてこちらを見上げたかなめが、部品と自分を交互に見て願いの叶った子供のように明るい表情になったので、宗介は唇をへの字に引き締めたまま少し遠くを見て、むずがゆくなったこめかみをぽりぽりとかいた。
「あー、よかった…それ高かったらしーのよ」
 ほっそりした指先を広げて凹凸もあらわな胸元を押さえ息を吐いたかなめをちらりと見やって、宗介が提案する。
「これをジョーロに装着しておけばいいのだな?」
「…えーと、うん。そうして」
 彼女はできれば自分ではめたかったな、という思いを押し込んで、ぐるぐる巻きのホースを置きっぱなしの流しに向かって歩き出す。
 今日はずっと重いもの担当だった気がするけれど、じょうろを放り出したままホースを片付け始めてしまったのは自分なのだし、運べない訳ではない。
 手の痛みを盾にとって、彼を誘えるような出来ばえの料理は当分作らないという考えも浮かんだが、どうせそこまで痛みは残らないだろうし、腹いせのつもりになれるのは自分だけで、あとで余計みじめな気分になるのもわかってしまっている。
 ここはオトナになんなきゃだわ、と軽くため息をついて伸ばした手を、僅差で追い抜くように日焼けした大きな手が巻き取り機の取っ手をつかんだ。
 当たり前のように重い荷物を下げて用具入れに向かう宗介は早足で、小走りにならないと追いつけない。本気で追いかけようとしたら目的地に着いてしまった。 
 そりゃ、重いから助かったけど!
 面倒なゲームのクリア直前で取り上げられてしまったようで、嬉しくない。ぷんぷんしながら用具入れの外で壁にもたれていたかなめは、年期の入った木の扉を閉めた宗介を上目遣いでじっとりと睨んだ。頬は日に焼けたのか熱くなっていたけれど、少なくとも睨んだつもり、だった。
 何か言おうとしたのか、小さく口を開けた宗介はすぐに他に気になるものを見つけたらしく口を閉じてそちらを向き、植え込みの方へ歩き出しながら「君の衣類を乾かそう。いい場所がある」とてきぱきした口調で言った。
「え、ちょっと、いいわよ別に。っていうかあんた自分のシャツは?」
 隣に並んだ彼女の気配を感じながらまっすぐ前を向いた宗介は、縛り付けにくいものを縛り付けるように顔面に力をこめた。
 うっすらと赤らんだ頬を少しふくらませた彼女が自分を待っていて、こちらを見上げた仕草が何故か待ちくたびれていたかのように思えてしまって、弁明を行うより先に、何かとても不適切な言動を行ってしまいそうだった。
 なぜ彼女はそんなふうに時々、摘まれるのを待つ花かよい香りの熟れた果物のような気配でいるのだろう。
 彼女は自分を待っていたのではなく作業の終了を待っていたのだと、彼は何度も脳内で唱えつつ、日の当たる植え込みへと向かう。
 植え込みの上には生乾きのグレーのTシャツが広げられていた。宗介は彼女の持っていた白い濡れたシャツを「寄こせ」と言わんばかりの手つきで取り上げて、洗濯物を干す要領でビシっと伸ばすと、植え込みの上に広げてやる。
「これですぐに乾くだろう。奇襲や偵察には向かない天気だが」
「あ、うん。さっきのホースももうだいぶ乾いてたしね。そういえばじょうろも乾いてたっけ?」
「………」
 む、と黙って脂汗を流す宗介に、「もう!錆びちゃったらどうすんのよ!大貫さんが大事にしてるって言ったばっかでしょ!?」と怒鳴ったかなめはどすどすと見たなりに合わない足音を響かせて用具入れに向かうが、すぐ後ろから追いかけてきた彼に「俺がやる、君は手を出すな」と言い張られて、しぶしぶ譲ってやる。
 …こいつ、ひょっとしてじょうろ気に入ってるの?
 かなめは、素材のサイズと質感を取っ払ってしまえば、さながら幼稚園児が可愛らしい如雨露でお砂場に水まきをするがごとくといった風情に見えなくもない妙に張り切った彼の姿に、たしか砂漠育ちだっていう話だし珍しいのかしら、なら最初から素直に代われば良かった、と眉間にしわを寄せ、強く息を吐き出しながら植え込みの側へ戻って日差しの差し込む渡り廊下の端に腰を下ろす。
 うっかり座ってしまってから落ち着かない気分になったけれど、着替える前に体についた砂埃を流す方法をいくつか数えて、腰を下ろした廊下の表面を横目で見やる。
 プールサイドに似た平たいコンクリートに染みこんだ水は瞬く間に乾いて、座った跡は残りそうもないことに、ナイスバディを濡れたビキニに包んだ現役女子高生は、ほっとした。
 ひっくり返した如雨露を風の通る日なたに置いた宗介は、不機嫌そうな彼女の横顔にちらりと目をやると、ぼそぼそと「教室の掃除用具と同じ扱いかと思ったのだが」と弁明した。
「あれだってみんなが横着してるだけで、なるべく乾かしてからしまった方がいいの!今だってときどき開けて風通してるし、よく使うバケツと雑巾はたいがいロッカーの外に出してあるでしょうが!あんたの担当のゴミ箱だって、たまには洗って乾かさないとダメなんだからね、どういう訳かあんたが留守の時にかぎって、すっごく汚れてるんだけど!ジュースだの牛乳だの飲みきらないで捨ててくよそのクラスのバカとかもいるし!そういうの、いったい誰が洗ってると思ってんの。…ああ、休み過ぎててあんたは知らないわよね。まさか学級委員も副会長も名誉職だとか楽そうだとか思ってんじゃないでしょうね?」
「…すまん」 
「わかりゃいいのよ。今度からキッチリやんなさい」
 かなめは、無表情ながらもしおたれているふうの彼から、ふん、と目をそらす。
 中学の頃に比べれば、わざわざ嫌がらせのために汚していくやつもいないし手もかからないけれど、多人数の面倒見が全く疲れないわけでもない。ましてや彼の後始末やストッパーが加われば、誰かに代わってもらいたいという気にもなる。
 雑用係だとうすうす知っていても手助けを頼むまでは無関心な生徒たちより、役職の意味も分からずというか凄まじい誤解のあげくやたら重用してくれる彼のほうに期待をかけてしまうのは、自分でも、甘えてる、と思う。
 ソースケは、ちゃんと教えたらきちんとこなすのに。
 大口を叩いてもサボり気味の自分より、仕事の合間に来るような登校日に欠かさず役目を果たす彼の方が働きものなのに、そんな彼にだけ誰にも言わないようなきつい調子で鬱憤を晴らして。
 子供じゃないか、まるっきり。
 …あの、大人顔負けの天才少女は、きっとこんなみっともないキレ方しないんだろうな。 
 強く膝を抱え、ももに当たる胸をむにむにと弾ませながらかなめはため息をついて、水滴のきらきら光る如雨露を見つめた。
 ちなみに、少し離れた隣にこそこそと腰を下ろした宗介が、顔を正面に向け遠方を凝視したまま凄まじい勢いで脂汗をだらだら流していたことにも、周囲に向けて限界まで全開の彼の視界に自分が入っていることにも、彼女は勘づいていない。
 きれいに刈り込まれた植え込みや花壇は、宗介が地雷を埋めたり爆発させたりするので、ところどころがちぐはぐに新しかったり補修してあったりする。 そういえば、とかなめはふと思う。テレビや何かの広告で通りすがりのように見る戦争中の国の映像に、埃にまみれた壊れかけの家や道路はあっても、手入れの良い花壇や街路樹を見たことはない。
 ホースはあっても、じょうろは今まで使ったことなかったのかもしれない。
 たまたま使い方を知ってる道具を使っただけで、さわってみたらじょうろの方が面白かったとか、きっとその程度のことなんだろう。
 あたしいっつもこんな調子だわ、とかなめはため息をつきながら何か他愛のない話の糸口を探して彼の方を見やると、宗介の二の腕に蚊が止まっているのに気付いた。  
「ちょっと、動いちゃだめよ!」
 言うと同時にはたき落とす。ぽろりと落っこちた羽虫に向かって「よっしゃ!」と小さくガッツポーズを取った彼女の行動に驚いた宗介は、彼女に叩かれた箇所と落ちたものを見比べて「虫か」と尋ねた。
「そう。止まったらもう刺されてるらしいけど、仇は取ってあげたわよ。…って、あんた虫除けはどうしたの」
「…ジャングルやブッシュにおけるゲリラ戦では、あれが原因で敵に所在を勘づかれる場合も多々ある」
「この学校のどこにジャングルがあるってのよ!?」
 素直に使ってないって言いなさいよ全く、とかなめは立ち上がった。水まきの用は済んでしまったが、もしこの後も「参加」するならあった方がいいだろう。
「千鳥、どこへ行く」
「教室よ。荷物取ってくるわ」
「俺が行く。君はここで待っていろ」
「いいって。それよりこれ、Tシャツ乾かすの、ここじゃまずくない?」
「…そうか?」
「大貫さん、これ見たら怒るかもよ?」
 きれいに刈り込まれた植え込みの剪定も、普段は大貫氏が行っているのを宗介も知っていた。
 う、と脂汗を流して固まる彼を見やったかなめは、はいはいと生乾きのシャツを手慣れた仕草で取り込んで自分の腕にかける。
 対宗介には狂戦士であっても、かなめにとって大貫氏はいささか説教くさいとはいえ優しく面倒見のいい初老の紳士でしかない。
 ときどきどういう訳か異様に大貫氏を怖がる宗介はともかく、自分ならこの程度の言い訳はできるだろうとふんだ彼女は、お姉さんぶった口調で言ってやった。
「しょうがないわね、帰ったらあんたのもうちで洗っといてあげるから」 
 むう、としばらく黙った彼はぽりぽりとこめかみをかいて、ぼそりと言った。
「頼む」
 年相応ではあるけれど、普段からするといささか幼げな彼の態度にくすくす笑いながら、華やかな色味の極薄の布地で裸身の一部をおおったきりの彼女が日陰と日なたのきわを歩いていく。
 頼って欲しいのにまた面倒を見られて、…それがもしかしたらただひたすらな自分への好意ゆえであったならと、何度ひとり夢想したことだろう。
 彼女にとって、護衛につく自分にこうも色々してくれるのは当たり前のことなのかもしれず、それでも君からの親切はとても嬉しくて元気づけられるのだと、役立つ兵士でなくとも労られ重んじられる存在として扱ってもらえることに、君の暖かいよく働く手がふれる全てにこんなにも温められていると、いつか伝えられるのだろうか。
 欲を言えばきりがなくなるのはわかっている。
 君のそばにいたい。自分のそばにいてほしい。
 どうか俺の隣で笑っていてくれ。
 こんなことを、今まで誰かに願った覚えはない。
 けれど自分でも戸惑うほど強いこの願いは、聞かせただけ君を困惑させるに違いない。
 ならばせめて、感謝だけでも過不足なく。
 奮い起こした勇気でもって彼女の隣に並び、開いた口から出たのは、言おうとしていたのとはまるきり違う言葉だった。
「その、…手は、大丈夫か。いささか腫れているようなのだが」
「あ、うん…、まあね、平気。ほっといたら治るわよ」
 な、なんだ、気にしてくれてたのか。
 かなめは「サガラくんてカナちゃんのことよく見てるよね」という恭子の言葉を思い出して、そんなことないってたまたまだって、っていうかコイツいちおうあたしの護衛だし、とどこへともなく言い訳しながら、もじもじと手を広げたり握ったりする。
 宗介はうつむいて自身の手を見つめている彼女の仕草に、急に言葉にならない塊のようなものが胸にこみ上げてきて、拳を握りしめた。
 ほっそりした小さな、だが常に何かしら働いている彼女の手をつかんでしまいたい。
 もしもそれで彼女の手が治るのなら、何を遠慮などするものか。
 訪れたことのあるどこかの国にそういった類の治療法はなかっただろうかと持てる限りの知識を絞り出す彼に、かなめはぼそぼそと言った。
「言い忘れてたけど、さっきはありがと。あれ、大貫さんの大事なじょうろの部品でね、……ソースケが見つけてくれて、助かったよ」
 彼女が目を上げる寸前、彼女の横顔から素早く視線を逸らせた宗介は淡々と答えた。
「そうか。偶然発見しただけなのだが、良かった」
「うん」
 二人して、しばらく黙る。
「…それと、水かけてごめん」
「いや、気にするな。俺も君も水着を着用している」 
 問題ない、と口早に言い切って宗介はかなめの顔をまっすぐに見た。勢いに押されるように何ごとか言いかけた彼の声をさえぎって、廊下の先をばたばたと数人の足音が駆け抜ける。
 即座にかなめと足音の間に割り込んだ彼は、腰を落とした姿勢のまま固まった。
 通りがかった生徒たちは一様に色とりどりかつ形も様々な水着姿で、透明な浮き輪を胴にはめたままのものさえいる。ひんやりと鮮やかな彩りに乏しい校内とあまりにちぐはぐな光景であるが、男女混成の集団はそんなことにはおかまいなしで、全員少なからずはしゃいでいた。
「あ、千鳥さんと…相良くん?」
「おおう…さすが『恋人にしたくないアイドルNO.1』ですな…」
「けしからんとはこういうことか…」
「ちょっと男子!急に止まらないでよー!」
「千鳥さん、水やりもう終わった?まだなら手伝うよ?」
「みんな急いで、時間ないし!千鳥さーん!もうすぐ始めるわよー!えーと…そっちの彼も来る?」
「いやあれサガラじゃね?」
「あ、ほんとだ。じゃ来るよね」
 わらわらと声をかけて手を振る集団に、かなめが慌てて答えた。
「え、もうそんな時間!?ちょっと待ってて、荷物取ってくる」
「待ってるよー。はいみんな行った行った!」
 ソースケも来て、とかなめに言われた宗介はわけが分からないながら慌てて彼女の後を追い、女子更衣室までついて行きかけて「もう!」と怒鳴られた。
「あんたはあっち、男子更衣室!みんな水着だから、えーとズボンは脱いで水着だけでプールに来てちょうだい」
 勢いに押されて「了解」と答えたら、「よろしい」と細腰に手を当てふんぞり返ったかなめはすましてうなずいたあと、花の咲くようににっこり笑った。
 彼は視界に強い光の満ちるような理由の解らない目眩をこらえて、指示通りの姿になりプールへと向かう。
 コンクリートの階段を上ると、プールサイドには幾枚かのピクニックシートがパッチワークのように引かれていて、かなめはすでに何ごとかの準備にかかっており、数名の女子生徒と紙皿や紙コップを手早く並べたり、ペットボトルをどこからか調達してきたクーラーボックスに放り込んだりしていた。
「アルミホイルこの辺でいいかな。千鳥さんの水着、かっこいいー」
「ありがと!そのワンピースもすっごくかわいいよ、胸のところのボタンがいいよね。じゃゴミ袋はこっち置くね、燃えるゴミと燃えないゴミって書いとこうか」
「はい、マジック。それ、こないだ海に行った時と違うやつだよね、キョーコに写真見せてもらったけど、あっちもよく似合ってた」
「あ、助かる!いやははは、あれはあのあとスイカの汁でベタベタになったんだけどねー、こっちは去年買ったやつでさ、着てるとハデっていうかいかにも遊んでそうに見えるらしくて、それ系のヤツにやたら寄ってこられてウザいし一緒にいる子も怖がるしで、ほとんど着られなかったんだわ。で、もったいないから今日着てきちゃった」
 ほらハデハデー、とかなめが腰回りにまいた布地をつまみ上げると、彼女を取り巻くかしましくも働き者な女子集団の向こう側がざわついて、宗介は酷く落ち着かない気分になった。
「そうかなー、千鳥さんは足が長いからパレオも似合ってるよ」
「へへ、どうもどうも。何も出ませんよー」
「お世辞じゃないってー」
「あたしはこういう可愛いビキニの方が目の保養なんだけどー。あーかわいいさわりたい、さわらせろおお」
「うわあオヤジがいるよ!」
「うぇっへっへっへ~」
「千鳥さん実はおげれつだー!?」
「ショックー!」
 他の女子生徒となごやかにじゃれ合うかなめは教室や生徒会の用で立ち働いている時と同じ表情で、宗介が指示を仰ぐために側に寄ると傍らの女子につつかれた彼女は、相手に軽く礼を言って振り向いた。
「やっと来たわね、ゴミ係。さっそくだけど任務よ、これそっちに置いといて。済んだら回収ね」
「了解した。ところでこの催しは何だ」
「んーと、要はヒマなみんなで一緒にごはん食べよう、ってことなんだけど。部活とか学校の用事で登校する人に水泳部主催で適当に声かけて、見ての通りプールサイドでサンドイッチパーティしようかって話になったのよ。食材は各自持ち寄りか、手ぶらの場合は参加費出すの。あんたも出しときなさいよ、あっちで集金してるから」
 そうか、と答えた彼が珍しく物騒な見解を述べないので、かなめは内心びっくりする。
 いちおうそういう経験とかあるのかな、兵隊さんだってパーティだの結婚式だの呼ばれることあるもんね、とかなめが映画などから得たうっすらとしたイメージを頭に浮かべていたら、宗介はこちらをちらちらと伺う男子生徒らを片っ端からにらみ付けて、低い声で述べた。
「ところで水泳部と君とはどんなつながりが?君はソフトボール部に非常勤として所属しているのではなかったのか」
 あ、やっぱそうくるか。
 遺恨があれば毒殺されかねんぞと言わんばかりの尋問調に、かなめは目を半眼にして肩を落とす。
「去年はちょっとヒマだったから、あちこちの部活の助っ人もしてたのよ。林水先輩も人材発掘ついでに恩は売れるだけ売れっていうしさー。ここの鍵、最後にあたしがあずかって返すことになってるしね。今日の用事も水やりだったし、いろいろ都合がよかったのよ」
「なるほど。水泳部の連中と君との関係は良好なのだな?」
「まあね。あたしが生徒会で忙しくなっちゃってからはちょっとご無沙汰しちゃってたけど、仲はいいと思うわよ?」
 そうか、とうなずいた高校生兼現役傭兵はあごに手を当て、気むずかしい顔になる。
「だが油断するな千鳥。良好な関係の人間であるからこそ、敵に弱みを握られた際には厄介なことになる。以前俺が参加した作戦では」
「ならねーわよ!」
 しかつめらしい顔で講釈をたれる番犬を、ひらめくハリセンでフェンスに向かって吹っ飛ばしたコードネーム「天使」は、とどめとばかりに虫除けスプレーを彼に向かってまんべんなくぶっかけた。
 周囲にいた数名が「はー、これが噂の夫婦漫才か…」と見守る中、何ごともなかったかのように彼女は持参の大型タッパーを保冷剤ごとシートの上に広げてあるランチョンマットにのせた。
「はい、頼まれてたタマゴディップ。あとバターナイフとスプーンね」
「やった、千鳥さんのタマゴディップすっごいおいしいって工藤さんから聞いててさー」
 工藤詩織のクラスメートである水泳部員女子が楽しみにしてたんだ、と小さくガッツポーズをする。
「今日はシオリ、彼氏と図書館デートだって」
「えー、残念だね」
「彼氏とディップを天秤にはかけないっしょ、普通」
「いやいやいや、絶品だってウワサですよ?」
「やだもー、シオリも大げさだなー」
 まんざらでもない顔のかなめの回りには、彼女にならうように持参の逸品を広げる参加者が集まってきた。
「あたしお中元のボンレスハム持ってきたー」
「何も持ってこなかった人は先に三百円、副部長に渡してね」
「やだーこれあたしんちのハムと一緒ー、焼き豚とセットだった?」
「そーそー」
「ハムはいくらあってもいい!俺が食う!」
「俺も俺も!俺も食う!」
「あ、男子は三百五十円ね」
「ひでえ!差別だ!」
「そんなことないわよ、安い方じゃないの」
 がやがやと騒ぐ色とりどりの水着の男女を見やる現役傭兵の脇腹を肘でつついて、取り分け用の紙皿や使い捨て食器を揃えていたかなめは言ってやる。
「ほら、三百五十円出して。あんたもしっかり食べなさいよ」
 そうだな、と華やかな人の輪の中に向かう彼を、かなめが群れに戻る野生動物を見送る飼育係のイメージで見送っていると、何ごとか苦戦中だった準備班の女子の中から困り声が上がった。
「ねえ、誰か切るもの持ってない?」
「え、包丁かなんか持ってこなかったの?」
「家庭科室で借りようと思ってたんだけど、鍵かかってて開かないのよ」
「かじるってのもムリだし、どうする?これ…」
 立派な網を食い込ませ分厚いビニールに密封された豪華なボンレスハムの塊を前にしてお手上げ状態の彼女らに、かなめは急いで声をかけた。
「ちょっと待って、あたしが開けてくる。誰かもう一人来て」
 走り出しかけたところへ、彼女の移動を察知した宗介が追いついて尋ねる。
「どうした、千鳥?」
「ちょっと家庭科室に、ってソースケ、あんたナイフ持ってる?」
「無論だ」
 速攻で銃刀法に違反しそうなナイフを数本どこからともなく出現させた彼に、かなめは半眼になりつつ足を止めた。見るからに肉厚で刀身の長いそれらはハムどころか野生の水牛でも丸ごと解体しそうな禍々しいオーラを発しており、水着姿の女子はおろか男子ですらイイ勢いでどっ引いているが、猛犬の飼い主たる彼女はハイハイとそこらから持ってきた手頃な段ボールにナイフを放り込んでガムテープでぐるぐる巻きにすると、すみっこに押し込んでしまう。
「アレは後で持って帰んなさい。っていうか、もっと小さいのないの?」
「…これなどどうだ」 
 宗介はやはりどこからか取り出した太めのペンのキャップを抜いた。現れたのは柳の葉のような形の刃で、ペーパーナイフによく似ているが多分用途は手紙の封切りではないだろうと察したかなめは、それも無言で取り上げてガムテープで先ほどの箱の上にべたりと貼り付ける。
「ちょっと小さいわね。切りたいのはああいうハムなんだけど」
 じゃああたし家庭科室に行ってくるから、と背を向けかける彼女に、更にどこか異空間からごついぎざぎざのついたサバイバルナイフを取り出した宗介は、素早くハムの塊をつかんで網とビニールを切り開き、中身を取り出した。
「俺がやろう。厚さを指定してくれ、どのくらいだ」
「あ、このくらい…かな」
 かなめが「どこから出したのよ!?」と突っ込む前に、飛び込み台の向こうの隅からハム係の女子が一ミリほどの隙間を親指と人差し指で示して、うむとうなずいたサバイバル戦の専門家はハムを包んでいたビニールの上で慎重にハムを削いだ。
「こんなものか」
「あ、そうそう、そのくらい!」
「切ったらこれに乗せてね」 
 徐々に側に戻ってきたハムの塊や焼き豚のブロックを持った女子及びハムの振る舞われるのを心待ちにしていた男子から、宗介が手を動かす度に「おお」という歓声が上がる。その光景はさながらデパートの実演販売で、刃物の切れ味を見せ付けるがごとくである。
「相良くんすごーい」
「上手ー」
「この程度、造作もない。他に切る物はないか」
「はいこれ!」
「じゃあこれもお願いします!」
「了解した」
 ハムと焼き豚の他に何故かトマトとリンゴとキャベツとパイナップルとチーズが置かれて、ますます「はい奥さん、これもほらこんなに」状態の真ん中で主に女子の注目を浴びてなんだか得意げな彼に、何となくむっとしたかなめはぼそりと呟いた。
「家庭科室、副会長権限で開けてこようかしら。まな板あった方がいいだろうし」
「済んだぞ、千鳥。他の用は」
「特にねーわよ。それよりあんた、この辺りにへんな罠しかけてないでしょうね」 
 自分の時ならぬ活躍ぶりを一番見せたい相手の無関心にしょげている宗介を尻目に、水泳部の代表がかなめに礼を言った。
「スケジュールチェックありがとう、千鳥さん」
「職権濫用だけどね。二、三日来ないってさ」
「何の話だ?」
 不穏な単語に思わずといった体勢で割り込んだ宗介を、ジト目のかなめはしっしっと追い払うが、よその子どもの無礼には多少寛容なママ友のごとく、水泳部代表は苦笑いと共にさらりと教えてやった。
「西野先生だとセーフだけど、小暮が担当の日だと貸してくれないんだよね」
「あいつ、生徒が好きに学校の施設使うの嫌がるからさ」
 数人の役職持ちの女子が、ねー、とうなずき合う。
「しかし施設の管理には相応の責任が」
「いいからあんたは黙ってなさい」
 ハリセンで宗介の口元をしばいた上で頭を押さえ込んだかなめは「そうそう」と皆の意見にうなずいた。
「ところで去年は助っ人ありがと。今年はうちのマネージャーに、って狙ってたんだけど、先を越されたわね」
 可愛らしい水着に身を包みながらも、いかにもきびきびとした体育会系女子は、かなめを前に残念そうにため息をつく。
「いや、ははは、ごめんね」
「副会長に持ってくあたり、林水先輩もよく見てるわ」
「そんなことないって、たまたまヒマだっただけだし。買いかぶりすぎよ」
「ソフト部の方も助っ人だっていうし、もしかして生徒会とうちのは両立できるかなーと思って期待してたんだけどさ」
「無理よねえ」
 悪意は無いなりに意味ありげな声音で語る水泳部副部長に、周囲の女子部員が賛同した。 
「千鳥さん独占かあ、いいなー」
「男子じゃなくても羨ましいかも」
「え、あ、うははははそんなじゃないって、やだなーもー」
 一瞬宗介を振り返りかけておばさんくさく手をふったかなめは、自分もパンを取りにその場を離れる。
 さっき怪我してたら、ソースケに鍵の受け渡しやらこれ届けるのやら頼むとこだったのよね。そうなってたら多分、すごく面倒なことになっただろう。
 何で仲直りできたのかはよくわかんないけど、助けてもらったことは素直にありがたかったな、と彼女が自作のたまごディップの様子見ついでに自分のパンに乗せていたら、いつの間にか隣に立っていた宗介が興味深そうにかなめに尋ねた。
「これは何だ、千鳥」
「これ?たまごディップよ。ゆで卵つぶしてマヨネーズと塩こしょう混ぜただけなんだけど、サンドイッチの定番メニューね。食べてみる?」
 宗介が無言で素早くうなずいたので、かなめは特に何も考えず彼の持っていた紙皿からパンを一枚取って塗ってやる。
 渡された簡易たまごサンドをひと口かじったのち、残りを一気に口に押し込む宗介の脇から「俺のにも塗って、千鳥さん!」「俺も!」と数人の男子が割り込みかけたが、ぼさぼさ頭の番犬が視線だけを向けたとたん全員が瞬時に凍り付き、即座に他の具の方へ散った。
「え、あ、やっぱいい、です…」
「遠慮、しときます…」
「へ?」
 状況が飲み込めず大ぶりのスプーンを握ったまま回りを見回すかなめに、宗介が口をもごもごさせながら再びサンドイッチ用のパンを渡した。
「塗ってくれ、千鳥」
「…あ、うん…いいけど」
 皆が遠巻きにちらちらと眺める中、宗介の突き出すパンにのみ彼女がたまごディップを塗ってやること数度、他の具材に比べて明らかに減り具合の悪いたまごディップに首を傾げたかなめは、念のため匂いをかいで舐めてみたが、彼女には自分の作ったものが皆に敬遠されている理由がわからなかった。
「傷んでもないみたいだし、ってことはあたしの味覚がおかしいのかな、自信あったんだけど…」
 遠慮のかけらもなく、かなめお手製のたまごディップサンドを両手に持って勢いよくかぶりついている宗介を見た彼女は、コイツならちょっとくらいおかしくても平気そうだもんね、とため息をついた。
「それ美味しいの?ソースケ」
「肯定だ」
「じゃ、これ二人で片付けちゃおうか。あんたまだ食べられる?」
「問題ない。任せろ千鳥」
 目を輝かせている宗介の向こう側、遠巻きに「あー!」とか「ぎゃー」とか聞こえてくるのは何故だろう。
「あ、ちょ、違う!違うって千鳥さん!待って待ってキャー!」
「もう食べないでええええ」
「あああ、えっとそうだ、こっちのハムとクリームチーズも美味しいよ千鳥さん!相良くんも一緒に来て!ね!」
「こっちの生クリームといちごジャムも美味しいからその後に来て!ブルーベリージャムもおすすめだから!」
「ベーコンレタストマトもね!」
 どこの露店の呼び込みかという勢いで叫ぶ女子数名は、笑顔ながらに必死である。
「あああああ美味しそう…どうしよう」
 残ったたまごディップの始末との間でぐらつくかなめに、もう一押しとばかりに声がかかる。
「から揚げにからしマヨも明太子マヨも、まだたくさんあるわよ!」
「ポテトサラダもきゅうりもあるよー!」
「さっきサガラくんが刻んだキャベツと果物はこっちだから!」
「ちょ、ちょっと待ってえええ」
 かなめは腹具合と自作ディップの残量を秤にかけて、未だたまごサンドに食らいついている宗介を見やり、いけると踏んで立ち上がる。
 当然のように彼女の隣に並んで宗介がその場を離れるやいなや、たまごディップの前に女子数人が駆け込んでスプーンをタッパーに突っ込んだ。
「やりぃ、たまご大盛りー!自分でだし!」
「あたしもー!自分で大盛り!」
「え、ちょっと、危ないってそれ!」
 かなめがあわててで止めに入るが、ミュージカル女優が一斉に振り向くがごとき所作で、並んだ女子ら全員が輝くような笑顔を彼女に見せる。
「大丈夫、全っ然傷んでないよ!」
「みんな大好物だから、お楽しみに取ってただけなんだって」
「そ、そうなの?」
「そーそー、だから気にしないで!お願いだから」
 男子がたまごディップのタッパーの前に立つと即座にぎらついた視線が投げナイフのごとき鋭さで飛ぶので、かなめの代わりにたまごサンド係に付いた女子が目の幅涙を流して頭をふる。
「千鳥さん、鈍い…鈍すぎる」 
「ていうか、あそこまで高校生男子がなりふりかまわないって普通思わないっしょ」
「あーよかった…食べ損ねるとこだった」
「もー、何のために人気メニューを料理上手に頼んだと…」
「しょうがないよ、相良くんで千鳥さんだしさー」
「よねー」
 苦笑と失笑で溢れかえるプールサイドで、騒ぎに気付くこともなくほおづえをついていたかなめは、おお、と持っていたサンドイッチを見つめる。
「ハムとクリームチーズも美味しいわね」
「うむ。肯定だ」
 あたしのディップとどっちが美味しい?とか、聞いても、こいつには何でも美味しいんだろうし。
 そもそもあたしがそう言うこというのって変ていうか似合わないって言うかー。テッサならかわいーく言いそう。だけど。
 美味しいもので腹が満たされていると、そういうめんどくさいことにも耐えやすくなる。
「ほらソースケ、ほっぺ」
「?」
「たまご。ついてるわよ」
 怪訝な顔の宗介の頬に素早く手を伸ばしたかなめは、日焼けした傷だらけの頬からディップのかけらをつまんで取ると、無意識に口へ持って行きかけてあわてて紙皿のふちを見、さらにプールサイドになすりつけようと手を下ろして固まったたところへ「だれかウェットティッシュいる人ー!」と水泳部女子が声をかけていたのに、速攻で乗った。
「はい、あんたのぶん。…何よ?」 
「いや。何でもない」
 困るのならば俺がそのかけらを食うぞと言いそびれたあげく、かなめの顔にも自分が清めてやれるような何かがついてはいまいかと注視した宗介は、数枚のウェットティッシュを手に沈黙した。
 窮地を救われて気が軽くなったのか、かなめはうきうきと彼に話しかける。
「これいいわね、みんな呼んで今度うちでもやろうかな。風間くんとオノDはソースケが声かけといて」
「了解だ」
 自分は参加決定と悟って、彼女の隣で同じものを作ってもらって食べていた大型軍用犬の耳としっぽがピンと立つ。
「あんたはトマト持って来なさいよ、間違いないから」
「了解した」
「へんなお肉とかレーションは絶対!要らないからね」
「…承知した」
 かなめは不本意そうな彼の声をわずかな変化から読み取って、ふふふ、とおかしそうに笑う。
 誰にも邪魔されず二人きりであったなら、先ほど言いそびれたことも伝えられるのだろうか。
 彼女の笑顔を前にした宗介は眩しげに目を細めたが、その表情が水面の反射のせいだと思っている彼女は、彼の位置からは現時刻において水面は光って見えないことに気づかなかった。

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