・女性向け二次創作サイト・「フルメタル・パニック!」宗介×かなめを取り扱っております・二次創作物、ノーマルカップリングの苦手な方、15才未満の方、荒らしさんはご遠慮下さい
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 2015/01/03
 あけましておめでとうございます&フルメタ四期マジっすか…今度こそマジっすか…
 先だって「血界戦線」にハマってザップ&チェインに転がりつつおそ松さんを横目で見ております相変わらずです。
 では皆様のご多幸をお祈りしつつ!今年もよろしくお願いいたします。

 pixiv「カンキツ」こちらのコピー(途中まで)ありますです。

 更新情報:

 2012/03/25「陣代高校卒業式 ~フルメタル・パニック!プチオンリーイベント」 無事終了・ご卒業おめでとうございます!イベントグッズ通販されておられます。僭越ながら卒業アルバムに参加させていただいております。

 フルメタル・パニック!長編シリーズ完結記念 お祝い企画ウェブアンソロジー『FMPF!』さま企画終了・お疲れさまでした!
 しばらく作品は展示されるそうです。主催なされた『nelne』さまのmogさま、素敵企画を本当にありがとうございました!

東日本大震災・放射能汚染対策などの情報まとめ2011/04/18改訂 
 今も命がけで作業して下さってる原発職員の方々・現場の自衛官・消防官・警察署の方々・被災者の方々・今回の災害で亡くなられた方々・各国のレスキューの方々・各国の災害支援の方々・これまで電気を供給してくれた原発に敬礼!
 内部被曝対策・土壌改良まとめ http://t.co/wbkllD8
 原発など飾りです、偉いひとにはそれが(略 まとめ 随時改訂・トンデモネタ含みます
 2013/12/01
 キルラキルにハマって一回くらいしか絡んでない(しかも敵同士で色気まったくなし)カプででっち上げたりしよります。捏造しすぎて大変遺憾な感じ。しかしむしろ絡みエピソードのあほほどある軍曹さんと千鳥の方がひっつかないのがある意味よくわかりました…(笑)もう少し違う角度同士で絡みも可能な気がする今日この頃。どう考えてもスケベ状態連発の軍曹さんをひたすら描写!とか(オイ)では。
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 お久しぶりです、お世話になっております!!お返事遅くなってしまってすみません!ロボものも萌え&燃えでありますね!こちらはフルメタオンリー以降はオンラインがメインで↑のアカウントのpixivとこちらが今のところ稼働中であります。もしアカウントお有りでらしたらお教えいただきたく!

 2013/10/22
 おかげさまで元気でやっとります!pixivで変な壁ドン画像を集めて悦に入ったりしています。腹筋崩壊とか謎の疾走感とかどういうことなのとかで検索かけてゲタゲタ笑っております…。キルラキルが面白いです。グレンラガンきちんと見られてないので見直したい。某ジャンルマイナーカプ腐向けでもウロウロしてますが、相変わらず指向が一人だけおかしいです。しかし纏流子ちゃんバディが千鳥に近いかも、と何となく思います。なんか…傭兵としてみるとマジで軍曹さん、体格は標準の下なんだろうなあ、それも武器や利点にしないとイカンのでしょうが突出した利点でもなかったんだろうなあとつくづく思います。まだテッサのイレギュラーさの方が使える。千鳥もあの世界では、ちょっと容姿を利点にする商売に行くと埋もれかねない感じだったんだろうなと思ったり。平均顔は美男美女ですゆえ。ほんとは大人軍曹さんや大人千鳥に会いたいですが年齢的に人生における裏方に回ってるかなあと思ったり。あと全然関係ないですが千鳥に某インキュベーターのキュウベエをシメてもらいたい個人的に。
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 お久しぶりです!お声かけていただけてめっちゃ嬉しいです!ジオンポメラ、後から出てさらに値下げなのでものごっつお得でした…出た当初欲しかったんですがなかなか手が出ずおったので、むしろ今さら感というかハイエンド機種が折りたたみキーボードではない種類だったりしますが(笑)本文書くよりメモせな忘れるううううって時に大変頼もしいです。ではどうぞ暖かくしてお過ごし下さいませ。

 2013/09/20
 宗かな(右上の「全記事」での表示が便利です)に「皮膚感覚境界線(天然危険物テキスト本文)」「点と線、から(花岸テキスト本文)」
 年齢制限(18禁)・閲覧者の責任において閲覧をお願いいたします に「靴の中の6ペンス(Something for テキスト本文)」UP
 やっとこUPしました。誤字脱字あったらすみません。またおいおいチェックしますです。

 ジオン軍モデルのポメラを早めの誕生日プレゼントとしていただきました。これで家族にパソコン占拠されてもちょっとは作業できるぜ…ちょっとなのはパズルピース組み替え作業が多くてマウス操作が一番楽ちんな作業形態だからです。脳内に全部出来てて書き写し型の方もおられるそうなんですが、オイラはピースから自作のパズル組み立て状態です。しかもピース削ったり捨てたりパッチ当てたりみたいな。効率悪い。
 にもかかわらず使いやすいんですよポメラ!すげえ!ギミックのハマる手応えとかボタンやキーの押し心地がいちいち小気味いいという。今時ワープロ機能だけで出すだけのことはある…。ちょっと小さめではあるけどきちんとキーボードなのが素晴らしい。作業が楽しい、ストレスが少ないってのは文房具メーカーだけのことはあると思いました。ワープロを文具と言い切るってのがイイよなと思います。
 なんでジオンモデルかっつーと一個上の機種と肝心なところがほぼ同等の機能なのに激安かつあんまり派手でない柄だったからです。起動速ええ。スイッチオンオフのたびに出るネタ画像も一瞬なので気にならんです。パソコンより格段に起動が速いしよその機能が無いから集中しやすいです。PTAの用事が初使用だったけど。
 ラルグフも見たかったんですが、濃いファンじゃないのに悪いなあみたいな…シャアのも書き物するのに赤いと目がしんどいかなあっていう理由で。あとそこまでシャア好きか言われるとマジで大好きな人に申し訳ないいうか私の好きなシャアってガンダムさんの方だしなーみたいな。オリジンの人たらしなシャアつうかキャスバル兄さんも好きと言えば好きですが(笑)デザインではやはり連邦よりジオンが好きです。量産型ザクいいよね…ジムってなんで白いのかしら。連邦でもボールモデルなら即買ったけどな!あとマグネットコーティングいうんか黒っぽい方のガンダムモデルなら考えたな…ザクレロも好きだけど悩んだと思うから無くて良かったです。
 ガンダムライフル型の水鉄砲を買って遊んだりジオンポメラ持ってたりするとガノタっぽいんですが、うちはそんでもライトユーザーの方というかそこまでガチじゃないんで、つかそこそこ広い範囲にウケ狙い兼用で使えるのがガンダムのすごいところだなーと思ったりします。うちの近所にガンダム知ってる人が多いだけかもだけど。それはともかく。サーバー側の事情でパソコンのメールアドレスが変わったり(拍手でご連絡いただければ問題ないです)携帯の機種変更とか車がぶっ壊れて中古購入・来月納車とか(あんまし乗らない引きこもりなので特によく分かりません)新しいモノは相応に浮かれるなあと思います。
 毎晩長子所有のモンハン4で採掘もしています…。小金魚だのカジキマグロだのミッション外で釣ってためといてクリアする卑怯者。釣りながらモンスターと戦うとか無理なんじゃあ。あと子供の友達にスケットダンスのスイッチみたいと言われました。うんおばちゃんスイッチ当人より友達のおたくらくんとかオカルトねーちゃんの方が近いんよ…。でも子供にはわかりにくいと思います。
 ほかに別冊マガジンの規制ラインはガンガンより大人向けですねアルスラーン戦記!とか(ナルサスが楽しみです)、ここんとこぴくしぶの方に出入りしがちなんですが、あれ外部についったかブログ置いといたらちょっと作品置き場欲しいときにはホンマに便利だなと思いました。ターミナル駅的にうまいことしたもんだと思います。問題もすごい多いらしんですが。人数の多さをうまく使えてるなあと。おまけとはいえ文章も掲載できる方式だったり一応入会しなくても見づらいなりに見られるのもすごいなーと。
 そんな具合で断捨離など憧れますが、まだまだ遠いわーという気分です。でも体力のあるうちに片付けもしとかんと大変なのは上の世代見て知ってるしな…とも思ったり。
 ところで妄想ですが、ポメラにもしASシリーズが出てアーバレストモデルが出たら、エンターキーの柄がミスリル紋章だろうなあとかは思うんですけども(ジオン公国マークついてますです)…たぶん起動時と電源オフ時の画面に不必要な注文つけそうな気がする自分にモニョモニョ。公式が関わるグッズで千鳥がかわいくなかったら怒る自分が容易に想像でけてたいそうイヤです。線画のハモンさん普通に別嬪だけどネ!ボン太くん一択だったりしてな!妄想だけど!
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 2013/09/04
 アニメから入ってダンガンロンパの無印と2を勢いでクリアしてまいました。イージーモードで子供とツレアイと共闘です。読むのが面倒なミステリという感じです。機体を力一杯持ちすぎて腰の筋がピキっとなりました…なぜ軽く持てぬ。
 やりこみ要素だいっすきなので2の平和らーぶらーぶモードで4人いっぺんに攻略したら、ものすごい多忙な主役そして人としてクズという気持ちになりました。組長の舎弟やりながらヤンデレと結婚してツンデレの信頼を得つつ世界中でブリーダーとかどうすんだ!!2のキャラみんな孤独系で、謎が解けたときにああ…ってなりました。3難しいけど見てみたいなあ…分岐的な話にしかならんだろうけど。
 1のやりこみ要素有りのが機体がVitaなのがなあ…族とプログラマの間に何があったのかものすごい勢いで重箱の隅ほじってますが、人としてどうか方向にもまとめうるし、ほじるだけほじれそうな気もします。ていうか緊張して大声になって告白で10人連続失敗の族長て、女性の好みが壊滅的に環境と合ってないヨ!大声出しても逃げないタイプをターゲットにしないとだめじゃん!とか、ネタバレ要素のとこがカップリングの要だったりする場合どうしたらいいのかとかもにょんもにょんしています。
 族長、たぶんすっごいプログラマの子が好みジャストミートだったんちゃうんかなーとか(憧れてると言われて赤面してるしな…)、舞薗さんは実は自分と同類のニオイがすると思ったんちゃうかーとか。
 プログラマが一番話が合ったのはたぶん同人作家だろうなあ…しかしあの見た目で女子と行動しないで男子にばっか気軽に話しかけて泣き虫とかものすごくコミュニケート構築の難易度自分で上げたらあかんがなと思いました。あの見た目なら気の合う女子といた方が面倒ごと自体は少ないだろうし。
 族長あたり誰も自分にビビらない環境ってすっごい居心地よかっただろうなあと思うと、クリア後かなりめげます。退場早い子って弱いけどいい子多くて無印終了後それは野に放ってはいけない才能のひとがいるよと思いました…。ていうか最後までいてる子は本編でしっかりキャラが開示されてるからあんまほじるとこないというか(笑)
 フルメタも本当は軍曹さんの出自つーか、なぜ飛行機搭乗時に名前が親子して記帳されてなかったんかとかお父ちゃん誰でどうなったんとかすんげー知りたかったです。そこを敢えて過去の因縁で絡めてこない潔さもいいんですが!ていうかボン太くん人形を持ってるなら千鳥のマンションと育った地域が近いんとちゃうんかとか、どっかで思います。パラレルでも同じ学校に通うほど学区近いっぽいし。しかしパラレルだったばあい陣代高校では生徒会のメンツや行事がフリーダムすぎちゃうんかとか千鳥もお母さんいたら陣高に行ってない気がするとか思ったり。キョーコちゃんやオノDはともかくお蓮さんと林水会長が濃すぎる(笑)まあ会長も軍曹さんがいなかったらあそこまでアグレッシブでなかったろうなとも思います。その後うまいこと交流できてたらいいのになあ…。ふもっふ見るたびに会長に笑いツボ踏み抜かれるんですがオイラ。では。
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ドアに取っ手と見定めてそのじつドアでも取っ手でもなく
窓だったとしたら
そんなことは日常茶飯事(それでも開いてはしまうのだ)


 まだ新しい石の角で、ぱしゃり、と透明な水がはね返る。これでは彼女に叱られてしまうかもしれない、と相良宗介は顔をしかめた。
 長柄のひしゃくで手桶の中の水をすくうのも、すくった水を石柱状のモニュメントに注ぐのも彼女に教わったとおりにしているつもりなのに、どうも自分がするとやり方が粗いように思えてしまう。
 鏡のようになめらかな表面に薄くついた緑のものは苔だろうか、茶色のごわごわした繊維を固く束ねた柄のないブラシ状のものでできるだけ丁寧にこすると、簡単にはがれる。これも教わったとおりだ。
 亀の子束子っていうのよ。
 と、どこか得意そうな機嫌のいい声が脳の中で再生されて、への字にきつく結んでいた彼の口元がわずかにゆるむ。
 『相良くん』も『ソースケ』も、彼女が自分を呼んだ声は一生忘れない。
 今日の空模様のように晴れわたった天上の青のような、それでいて命を奪う砂漠の干天とは違ってどこかに慈雨の気配を含む声を想いながら、墓石の上から静かに水を注ぐと、細かな汚れがゆるやかに流れ落ちていく。もともと何かを磨いたり手入れしたりするのが苦にならない性分の宗介はうむ、とひとり満足して作業を続けながら、ふと思う。
 この下に納められているのは、夫を残して死んだ妻の一部である。
 戦場で死者を弔って墓標を立てる場合は「ここに眠る」と書き、また他では「冥府に旅立った」「天に召された」などとも言う。ならばこの墓に祀られているひとは本当はどこへ行ったのか。それとも既に永久に失われているにもかかわらず、残されたもののためにそういう事にしてあるだけなのか。
 どこかへ行ったなら追う事も可能だろう。けれど後者であったなら、と宗介は眉間にしわを寄せた。未だ健在の身には、それを検証する手段がないからである。
 彼女はどこへ行ったのだろう、と宗介が首をめぐらすと、小さな白っぽい花びらがはらりと舞い落ちて、墓石の台にたまった水に浮かぶ。ごく近くに花の咲いた木があるのは検知済みだ。
 むう、と彼は小さな発泡スチロールのトレイに積まれた白い団子を見つめる。ラップにトレイごとくるまれているとはいえ、本当にこれはこのままここへ置いていいのだろうか。全体と言わぬまでもこの石の削られた辺りだけでもタオルか何かでぬぐった方が良いのではなかろうか。
 シラタマダンゴというこの供物を死者が本当に食べるわけでは無いことはわかっている。だがおそらくは墓地の管理人が片づけるであろうこれが、あまり衛生的とは言えない状態になるのは好ましくない。
 そう、「好ましくない」。のちに誰かが食らうわけでもなく、いっそプラスチックのボールであっても特にかまわないだろう、事実そうする場合もあるのだという儀礼的な飾り物であるにもかかわらず、今の自分は、そう思う。
 以前の自分であれば、貴重な食糧を弔いのために浪費することに対して、意味を見いだせただろうか。
 敵味方問わず死体は不衛生であるとしてASで掘った穴に放り込むか、心理戦に有用な物資として利用するかはした。周囲の慣習にそって埋めることもあった。誰かが死者の痕跡に思い入れを持つことをわざわざ咎め立てしない代わり、自分から確認以外で死体のもとを訪れることもなかった。そういう人間だと思われていることに、特に不自由もなかった。
 かつて同胞であった人々のいなくなった村を見て、何らかの空しさや惜しいという思いや、居場所を奪った敵に対する腹立たしさを感じはしても、人数分の墓石をそこに立ててやり生者と同じく扱うという発想はなかった。そう遺言されていれば従ったとは、思う。
 実際、以前いた村の老人に「死者は弔うものだ、無用な無礼ははたらくものでは無い」とも教わっていたし、業務として敵の挑発や鎮圧が必要な場合にやむを得ず、という場合をのぞき、無駄に死者を貶めるなどしてはいない。そんな趣味はないからだ。
 それでも積極的に死んだ誰かをその技量を含めて惜しむのでなく、悼む、ということは、おそらくは無かったように思う。それは自分の在りようの中では、贅沢品の一種で必需品ではなかった。少なくとも、以前の自分は記憶にある限り、そういう人間だった、はずだ。
―では、今は。
 トレイに盛られた白い団子を見つめたまま、知らず握りしめた拳の内側が汗ばむ。
 かつて護衛対象である人物に不快な接触を行った同学年の男子生徒に対して「およそこの世で考えうる限りの苦痛を、貴様の妻や子供に与えてやる」と脅したことを思い出す。
 その必要のある時に敵の妻子を拷問することを臆していては優秀な兵士とは言えまい。だが「妻子を損なわれる」ということが、家長として恥だという以外のダメージを持つものだということさえ知らなかった頃と同じようには、もうふるまえない。
 白く華奢な首の後ろで束ねられていた黒髪の香りが、鼻先をかすめたような気がした。
 錯覚だとわかっていても、その錯覚からつられるように、ほっそりした手で団子を丸めていた黒髪の主のていねいな仕草を思い出してしまうことを止められるわけでもなく。

 いつもの事ながら唐突に(かなめにとってはそうではないようだったが)、粉類の入ったとおぼしき使いさしの袋を台所の棚から引っぱり出して彼女は宗介に提案してきた。
「ソースケもお団子作る?」
「お団子?」
「ほら、この絵みたいにこの粉を練って丸めてゆでるの。お砂糖つけたりきなこまぶしたりお汁粉に入れたり、フルーツの缶詰と一緒に食べたりするのね。お供えにも使うけど。味はお餅に似てるかな、大福の外側とか。みたらし団子は…あんた食べたことあったっけ?」
 ないぞ、と答えたら、ことさら得意そうに胸を張り「じゃあ作ってあげるからあんたも手伝いなさい。えーっと、お皿取って来て。大きい平たいやつ。あとお鍋も」と用意をはじめた彼女の横顔が、自分に直接向けられている時とは少し違った表情に見えて、宗介は一瞬戸惑う。
 自分が何かまずい事を言ったのか、それとも他の理由によるのか、あとでこの事は理由の分からない彼女の激昂につながりはしないのか。ちらちらと横目で見ながら彼女に指示された通りの道具を揃えながら考えるも、明確な答えは出ない。
「少しずつ水を足して練り、直径二センチくらいに丸め、沸騰した湯に入れて浮き上がったら一分ほどそのまま置いてから氷水の中に取る、と」
 袋の後ろに簡潔に書いてあるレシピを復唱し、かなめはとりあえず固さの指標を確認するため自分の耳たぶを触ってみる。
 エプロンをして髪を首の後ろでまとめた彼女が、袋の後ろを睨んで自分の耳を揉みながら、むー、とうなっているのを、彼専用エプロンを装着した宗介は一切の感情を顔面に出さぬよう注意しつつ見下ろしてのち説明文を彼女の邪魔にならぬようのぞき見ると、おおよその事情を察した。
 なるほど、固さの指標が人体の耳たぶなのか、と彼は自分の耳をさわり「しかしこの説明文の制作者は人類の耳たぶの固さの平均値をもとにして、これを書いたのだろうか」と思い至り、とりあえずここには自分と彼女の二人がいる以上、互いの耳たぶの固さの平均を取ればより完成された失敗のない「シラタマダンゴ」とやらになるだろうと結論づける。
 …無断で接触するのは、相手が誰であろうと危険だ。
 うむ、と彼はかなめの色の白く傷のない、形の整った小さな耳を見下ろす。
 彼女の耳に、これと言って突出した特徴はない。強いて言えば厚みも薄くやわらかそうで、日にも焼けておらず、老人や屈強な男らのような目立つ毛もなく、水商売の女のような派手な飾り物もなかった。
 ふわふわとしたうぶ毛にうっすらとおおわれて少し桃色がかったやわらかそうな耳たぶには、以前ピアスをしていたようにも記憶しているが、現在その痕は見当たらない。
 穴が小さいものの場合、長くピアスを装着していなければふさがってしまうというのは、個人の特徴を判別するコツを教わった際に覚えたことだ。
 そして個人の判別を目的としない場合、宗介には他人の耳などいちいちじっくり見る用はなく、そもそも彼の出向く類の戦場に、かなめと同じ年頃の非戦闘員はほとんどいない。
 ぬかるみを大型トラックで無理矢理通った跡だの石畳を爆撃した跡だの険しい山岳地帯の草も生えない絶壁だのしか見たことのない人間が、手入れをされたやわらかい芝生に儚い新雪がつもったさまを初めて見たのに似た感慨を持って彼女の耳を見下ろしていた彼は、眉間にしわを寄せたまま、爆弾トラップの側にいるときのように迂闊に動いてしまわないよう用心する。
 自分はよく断りもなく彼女に耳を引っぱられているが、自分が同じ事をしたら突然に無断でさわられることにひどく動揺し怒りもする彼女のことだ、きっといつもの武器でしこたま殴られてこの場から放り出されかねない。
 ならば、この説明文の内容から、彼女の耳と自分の耳との固さの比較とその平均値が「シラタマダンゴ」製作に必要であろうと自分は判断したがゆえに、その他の意図も企みも危害を加えるつもりもなく、その用途のためだけに彼女の耳の固さを触診によって確認させてもらいたいと、彼女に誤解無く伝達するにはどうしたものだろう。
 強調するべきは「必要がある」ということと「害意はない」というところか。いかがわしい意図はないと慎重に話さねば、彼女の機嫌を損ねてしまうのではないか。
 かなめの耳を凝視したまま固まっている宗介の逡巡には気付かず、彼女はちょい、と彼を見上げると「ごめんソースケ、ちょっと耳たぶさわらせて」と言いながら彼の耳をごく無造作につかんでもにもにともむと、自分の耳をもみ、もう一度彼の耳をふにふにこねくり回して「あー、こんなもんか」と呟きつつ手を洗って粉に水を足し、わっしわっしと大胆かつ的確にボウルの中をかき混ぜてひとかたまりにまとめてしまった。
「よっし、じゃあ丸めるわよ。直径だいたい二センチね。だいたいでいいから」
「…了解」
「切ってから丸めた方が大きさが揃うから、あんた先にそっち行ってて。お団子とお団子の間は少し空けてね、くっついちゃうから」
「了解」 
 この作戦の指揮権は彼女にあるのだから彼女が調査し判断することに異存も問題はない、ととりあえず彼女と出会ってから頻繁に覚えるようになった形容しがたいストレスを注意深く奥の方へ押し込めると、宗介は指示通りの作業へと移る。
 棒状に伸ばした練り粉をかなめが包丁でとんとん、と切っていく。切り出された固まりを少しくぼませた両手の真ん中でころころと転がせば、いかにも団子らしくなった。
 うむ、と彼は仕上がった球体を丁寧にチェックすると皿に置き、次の固まりを手に取る。
「へー、ソースケ上手じゃない」
「そうか?」 
 練り粉を切り終わったかなめが隣に移動してきて、ほっそりとしたてのひらの上ですり合わせるように団子を転がしながらくすくす笑った。
「何か…おかしいのか」
「んー、何でもない」
 厭な笑われ方ではなかったが居心地が悪くて、手の甲で鼻をこすったら粉がついたらしい。
「ちょ、ソースケ、粉がついてるわよ」
 どういう表情をしていいのかわからないまま顔を手でぬぐったら余計ややこしいことになったらしく、本格的に笑いだしたかなめに濡れ布巾で顔を拭かれてしまった。
 むっすりと黙ったまま無抵抗を貫いている宗介から笑顔のまま少し視線をそらしたかなめが、さらりと言う。
「こないだはお節介焼いてゴメン。てか、今もか」
「…いや」
 ん、と彼のそばを離れた彼女は湯を沸かして団子を茹ではじめた。
 彼女とこういった戦闘とはほど遠い作業をしている時に、あたたかなやわらかいものが辺りや体に充ちるような感覚は初めてではない。
 息を殺すようにして彼女の仕草を伺いつつ、どこか胸の奥のうずくような何か動かずにはおれないような気持ちになる。けれどそれは、これは自分がひたっていて良い類の感覚ではないだろうという戒めも常に同時に掻き起こしてゆく。
 例えるなら雪山で覚える眠気や兵士が戦場で手を染める麻薬に対するように、いくら魅惑的でも覚えてしまうわけにいかないものだ。何より彼女を守り、かつ自分も生き延びるために。
 それだけだろうか。
 否。
 人食い鬼と人は、同じ世界には暮らせない。
 どれだけ都合よく言いかえたとしても、自分のこの手は汚れている。汚れた手で彼女にふれて、彼女まで汚すわけにはいかない。
 彼女はこの汚れに耐えられない。ならば自分は、今に至るまで何故耐えることができたのか、できているのか。
 …それは

 余計な思考を停止して近づく気配に素早く目をやると、予想したとおり、かなめがこちらへ向かってやってくるところだった。
「雑巾借りてきたわよ、ソースケ。ってゆーかあんたまた妙な装置しかけてない?」
「…千鳥」
「何よ。ユーレイ見たような顔してないでくれる」
「ユーレイとは何だ?」
「ゴーストよ。最近じゃ頭蓋骨の内側で囁いたりするらしいわよ?」
 勝手に囁いてんじゃねーわよとあさっての方向に向かって毒づいたかなめは、気を取り直したかのように雑巾を桶の中の水にひたして絞る。万の土になって~、などと口ずさみつつちゃっちゃと千鳥家之墓と掘られた墓石をぬぐう彼女に悟られないよう周囲の墓石にしかけたトラップなどのセンサー類を起動しつつ、千鳥かなめの護衛は本日の予定についての意見を再度述べた。
「こういった施設は君の身の安全を守る上で適切とは言いがたいのだが。見晴らしがよすぎない点と石材が林立している点は地の利とも言えるが、敵にも接近の好機を与え、こちらの攻撃を防ぎうるという可能性において」
「あーもー、うっさい!だからあんたがいる日に合わせたんでしょうが。…まあ、普段から月命日もはずしまくりだしお彼岸もいろいろと忙しかったけど。私はお墓の中にいませーんとか言われても誰かが掃除だの片付けだのしなきゃだし」
「いないのか?」
「どーだろ。死んだことがないからわかんない。…お骨はそこにあるけどね」
 墓石の下の納骨堂を指さされてのぞき込んだ宗介が「千鳥、この設備は危険だ」と言いかけるのをハリセンですぱーんとはたき落としたかなめは、スチロールのトレイに乗せた団子にかけてあったラップを剥がした。また一枚はらりと飛んできた花びらが団子をかすめて、彼女は眉をしかめる。
「これ、ラップかけっぱなしってアリなのかしら…生きてるうちに聞いとけばよかったなー。えーと、ろうそくとお線香はここ、と。はー、どっこいしょ」
 お母さん、久しぶり。
 おばさんくさい言動で墓石の前にしゃがんで線香の煙にむせながら墓石に話しかけるかなめの言動はいろいろと矛盾していて、墓地の石畳から立ち上がった宗介は、むう、とうなったあと、とりあえずかなめの真似をして墓前に手を合わせる。
 どこからかいささか季節に合わぬ暖かい風が吹き付けて、敷地のすぐ外に立っている木から淡いいろのうすい花弁がまたしてもほろほろと舞い散った。
 かなめは立ち上がってことさらに伸びをすると、いかにも片付けに取りかかる風情で宣言する。 
「さて終了、と。悪いけどソースケは残りの水捨ててきて。午後からはみんなと合流だから急がなきゃね。あたしはここしまっとくから行った行った!」
 手早く指示を出して彼を水場へ追いやったかなめは、勢いよく手を動かしながら、ううう、と一人赤くなる。
 いくら用事だったとはいえ、こういったことに彼を誘うのは早まったかもしれない。
 ソースケと二人でお墓参りなんて、…なんだか、何かの報告をしに来たかのようで。
 昨日も大きな手で可愛らしいお団子を一生懸命丸めているのがおかしくて、その手つきが優しく思えて笑ってごまかしてしまった。そうしないと勢いで何か違う方へ心がころがって止まらなくなりそうだった。
 墓石の前でかなめはぐるぐると言い訳をするように脳内で呟き続ける。
 だっから、なんかのカン違いなんだっつーの。キョーコとかテッサとか、そういう話にしたがるけど!
 だってソースケがあたしを守るのは、任務、なんだし。もし任務じゃないのにあたしを守るだとか、もしあったら、冗談じゃねーわよって思うし。ていうか、シャレになんない。マジでドンパチとか頭おかしいっつうの。
 ソースケにも海の底で俺のことなんかわからないくせにみたいな感じに怒られたことあるし、…こないだだって。
 今日は振り払われたりとか、まだしてないけど。
 狂い咲きの花を見上げて、かなめは長い息を吐いた。
 けど、ソースケのアレが任務だったら、あたしにだって責任がある。彼に「帰ろう」って言っちゃったのは、あたしなんだから。
「午前中に買い出しついでにちょっと用事あるんだけど、荷物持ってよ」
 キョーコのいる前でわざと言ってやると、予想通りソースケは「俺も行く」と言った。
 それは彼の『仕事』だから。たとえどれだけ気が進まなくとも。
 だから、こっちだって、『責任』で『仕事』だった。
 陣代高校二年四組の学級委員長としての『仕事』は、クラスメートのソースケにちゃんと学生させること、だ。

「来年はちゃんと春にお花見するわよ。こういう、異常気象で狂い咲きとかのじゃなくて。テッサにも声かけとかなきゃ。クルツくんとマオさんにも」
「そうだな」
 その頃は進路も決まっているのだろうか。…この力はいったい、どうなっているのか。受験には有利だというレベルをはるかに越えた先には、何があるのだろう。
 つきつめて考えないよう、かなめは不敵に笑うと芝居がかった声で暗唱する。
「満開の桜の下には死体が埋まっている!…ってね」
「それは本当か、千鳥」
「そーいうネタの本があるのよ。中学の時の先輩がそう言っててさ、あたしもその本読んだんだけどねー。だから桜はきれいなんだ、みたいな話だったっけか、きれいなものの根っこには怖くて汚いものが埋まってますよ、みたいな話だったと思うけど」
「ふむ、死体から養分を吸って成長したのだろうな。理にかなっている」
「や、そーじゃなくって」
「違うのか?」
「まー、それもあるんだろうけど」
 宗介の視線の先、呆れたように唇をとがらせ、ほっそりとした肩先にかかる黒髪を指で払う彼女は、まだ気付いていない。
 彼女の隣に並ぶ者が、彼女とは違う世界に棲むモノだということに。
 ギャラは半分でもいい、と組織の上層部に向かって啖呵を切り、登校しはじめて数日。
 下駄箱に不審物を感知していつものように処置をして、爆発に備える。煤けた彼女が激昂しながらハリセンで自分を攻撃してきた瞬間、不意に気付いてしまった。
 そばに彼女が居たにもかかわらず、自分だけを庇ってしまっていたこと、それが彼の「いつも」であったことに。
 自分の身に染みついた行動は、どう考えても彼女を護るためのものでは無く、見捨てるためのもので。
 たしかに、第一に自分の身を守らなければいけないのは傭兵の性だ。任務の内容と天秤にかけるにしても、一番の資本は自分自身だからである。それでも、自分の当然としてきた行動のあまりの人でなしさに気付いてしまったショックは彼を打ちのめすには充分すぎた。
 彼女に出会って変わったことによって、彼女との間にある、消せない・埋められないものを自覚させられる。それが痛くてたまらない。そんな痛みがあることなど、知らなかった。
―知らなかったからこそ、今まで生きてこられたものを。
 逃げるようにその場を離れた自分に、ほんの数日もたたないうちに彼女は手を差し伸べてきた。意図的に彼女を避けたのが、かえって災いしたのもあるだろう。

 昼休みの生徒会室でたまった宿題を片づけていた宗介を見つけ出したかなめは、安堵したような怒ったような目をしてドアを閉める。
「あーもーこんなとこにいた。ほら、あんたの好物、わざわざ作ってあげたんだからね」
 元気出しなさいよ、という声を聞くことさえ恨めしくて、突き出された見慣れた弁当箱を振り払うように彼女から遠ざかる。
「…ソースケ?どしたの?」
 俺にさわるな、と叫んでしまいそうで、せっかくの好意をむげにされた彼女に怒鳴られる前に、ノートと教科書をつかんで宗介は立ち上がった。
 伸ばされた手にふれてしまえば自分はどこまでも欲するのだろう。彼女を守れもしないのに。
 そして欲した自分は、さらに彼女を守る力を失っていくに違いない。
 見捨てておいて都合よくすがって、また見捨てるのか。
 何よりも、彼女に自分のそういった面を知られてしまったら―
「…帰る」
「あっそ。好きにすれば?」
 さすがに呆れたのか、かなめが遠ざかっていく。 
 彼女に背を向けられても向かい合っても痛むならば、いっそ自分も背を向けてしまいたかった。
―にもかかわらず、現在の自分は彼女の背中を見ながら狭い墓地の通路を通り抜けているのだが。
 友人の前でふだん通りの間柄に見せかけるためなのか、仲間内での催しと個人的な用向きに付き合えと言い出してきたのは、個人的な好意からというよりおそらくは、あの時香港で宣言したとおり、彼女の学校内での役職としてのことだろう。
 それがどこかしらいらだたしくもあり、単純にありがたくもあり、止めどなくもたらされる混乱にまた落ち着かなくなる。
 なぜこんな面倒にギャラを半分も投げ打って参加しているのか、自分でもさっぱり理解できない、と目下のかなめをちらりと見やった彼は、深く長くため息をつく。

 あー、ソースケ、またため息ついてる。と彼の気配を背後に感じながら短い距離を移動中のかなめは思う。
 なんだかいろいろ諦めてる大型犬っぽいんだよね。子猫にエサ食べられちゃったとか、さらに小屋乗っ取られて昼寝されてるみたいなイメージがわくのは、アニメかなんかの影響かしら。
 本日の花見会場に選んだ場所はここから近く、日当たりの条件が似ているのか墓地のすぐそばの桜も満開になっていた。大丈夫なのかこの異常気象、と懸念しつつも花木の傍らにベンチを見つけておいた自分にグッジョブである。
 こういうところが、合わない相手からは無神経で厚かましいとの非難を受ける性分だという自覚は、ある。  
 好物だとかって押しつけがましかったかな、やっぱ。
 ほんとはソースケ、さわられるの苦手なのかもしれない。あれだけ他の人が武器を持ってるかもしれない、なんて怯えるんだから、あたしが気安くさわるのだって、ずっとガマンしてただけなのかも。
 けど、ここで引っ込んじゃうのは、なんか間違いというか、…うまく言えないけど、お節介しないといけない気がしてしょうがない。
 香港からこっち、なんでかは分からないけど、出会ったばっかの時みたいに「信じられない」とかじゃなくて、ソースケは本当だったらフツーにあたしたちみたいな生徒だったはずなのに、何かの間違いで兵隊さんをやってるんだ、って感じがするようになった。
 生活出来ないから仕方なく、じゃなくって、少なくとも、ソースケが自分で選んだりやめたりできるようにならないとフェアじゃない。
 だったら、学校は行っとかないとだし、…あたしとケンカしても、あたしのためにここに居るのが任務じゃなくなっても、もしかしたら休学したり転校したりするにしても、勉強はしとかないとダメだと思う。
 そこらへんは、がんばっててエライ。ちょっとイラっとするくらい。
 木の近くのベンチに並んで座り、かなめ作の簡単な弁当と団子の残りをみたらし団子にしたものを平らげると、宗介はバックパックから筆箱とノートを取りだした。
「あんた、こんなとこでまで宿題?ほんっと感心ね…」
「肯定だ。出席日数が足りないゆえの措置だそうだが、予定より遅れてしまった」
「藤咲先生容赦ないからねー…ちょっと見せて」
 彼に身を寄せ興味半分で宗介のノートを見るとプリントがはさみ込まれており、「これらを現代語に訳して情況を説明せよ」という指示と、いくつかの和歌が書かれていた。
『見わたせば向かつ尾上の花にほひ照りて立てるは愛(は)しき誰が妻』
『派生歌として 埴生坂花咲く岸にたつ未通女 春の永日の誰が愛しき妻』
 ざっと意味を把握したかなめは、先生いつもどういう基準で問題選んでんだろう、と遠い目になる。
「千鳥。この『未通女』とはなんだ。辞書を引いたのだが、どうも載っていないようなのだ」
「な、ちょ、じじじ自分で調べなさいよ!横着しない!辞書でダメならケータイあるでしょうが!」
 赤い顔で怒鳴られた学生傭兵は、ふむ、とうなずいて、ごつい携帯電話を取りだす。
「なるほど、字から調べるという手があったな」
「え、あ、そういうのは帰ってからっていうか、…その」
 あわてるかなめを尻目に、宗介はいささか得意げな声で説明する。
「送受信時についてのセキュリティならば問題ない。むしろ君の機材の方が心配だ。脆弱性に配慮しているとは言いがたいようだが」
「や、…そーじゃなくて」
「では何が不安材料なのだ?…ふむ、『おぼつかない』が語源の若い女性という意味らしい」
「あ、ああそう…」
「つまり既婚者の女性新兵が傾斜のある地で作戦に従事している様子なのだろう。女性も徴兵されているのであれば場所はソ連のあたりだろうか」
「埴生坂は植民地じゃねーわよ!ちゃんと書いてあんでしょうが!」
「む、これは地名だったのか。素焼きの発生地かと思っていたのだが」
「ありえねーファンタジーワールドを脳内で形成すんじゃないわよ、あんたはほんといっつもいっつも!」
 むきー、とつやのある黒髪をかきむしったかなめは、「ゴミ捨ててくる!」と言い捨てて席を立つ。
 やきもきしただけ損をした気分にさせられるのはいつものこととはいえ、自分だけがそそっかしい痛いヤツのようで腹が立ってしょうがない。
「待て千鳥、単独行動は危険だ」
 立ち上がるかなめを引き止めようと手を伸ばしたとたん、吊す糸の切れたように彼と彼女の間に花びらが降りそそぐ。
 まるで彼女が幾千のカケラになって、舞い散ってしまいそうに見えて。
 いなくなる。彼女が。手の届くどこにも。

 手足のない男が、その血と共に撒き散らした哄笑が脳裏によみがえる。

「ちょ、何ど…したの」 
 ソースケ、と腕をつかまれたかなめが彼を困ったように呼んで彼は我に返るが、ただの錯覚だとわかっているのに、彼女をつかんだ指が開かない。
『相良くん』
『ソースケ』
 こんな名は作戦ごとのコードネームと同じに、いつか無くなると思っていた。
 鋳つぶせば消える製造番号のようなものだと、ずっと思っていた。
 これが俺の名になったのは、君が呼んでくれるからだ。 
 君が、俺に未来をくれたんだ。
 それは確かに元からあったものかもしれない、けれど今までの延長線上の、消耗すれば捨てられる部品の将来でしかなかったものを、未知の可能性のあるものにしてくれたのは彼女の言葉と存在で。
 わずらわしくて面倒くさくて悩んでばかりで、ちっともすっきりしないけれど、いつか墓石に刻まれるなら、君と生きたこの名がいい。
 ソースケってば、と重ねて呼ばれて、彼はおずおずと彼女を放した。
「すまない。足下に何かあるようだったのでな」
「ん。ありがと。…えーと、べつに何もないみたいよ?」
「そうか」
「またカン違い?ほんと心配性よねー」
 自分を見上げる彼女の照れくさそうな笑顔から、夜明けの光のさす中で同じような表情の彼女に溶かされた呪いを思い出す。
 あの敵は自分の事も彼女のことも、恐るべき執念でつかんでいた。
 お荷物になるなどごめんだと、命乞いなどしないいかにも気高い女のようなその言葉を、あの時の自分は信じてしまった。 
 けれど彼女は本当に、そんな女だろうか。
 それが有効だと思えば命乞いでも何でもしてみせて、その隙をつくしたたかさも駆使して目的を果たすのではないか。
 何度心を折られても、膝をついても立ち上がるひとなのではないだろうか。
 もしかしてそうやって命の危険も顧みず、あの戦場へ自分を迎えに来てくれたのでは、なかったのか。
 彼女だって、ほんとうは、いつもとても怖かったからこそ、自分を「臆病」だと看破したのではないのだろうか。 
「…千鳥」
 君の名の甘い響きにすがってばかりの自分は、君の気持ちを助けたことはあったろうか。君に頼って、心をくじいてばかりなのではないのか。願いとうらはらなことばかりで、君にすら逆恨みの牙を向けるこの俺を、本当は重荷に感じているのではないのか。
「何よ」
「……俺も行く」 
「はいはい」
 肩をすくめて仕方がないという風情で微笑む彼女に安堵しつつも、彼はこわれやすいものを扱うように細心の注意を払う。

 千鳥。いつか、聞いてくれるか。
 あの男に殺人聖者と呼ばれたことを、そんな者は聖者でも何でもないということを、君を亡くすということがどれだけ自分にとってむごいことなのかを、…そんな大切な事実をよりによって宿敵のあの男に気付かされてしまったということを。

「ところでこういった習慣において実施期間は決まっているのか?」
「だいたい年一回の命日とお盆とお彼岸と、マメな場合は月一回命日と同じ日付の日かな。お盆は、あんたいなかったでしょ」
 ふと影が差したかのような気配に、なぜか胸がひやりとする。そばに居られない間の彼女の見知らぬ顔を垣間見た気がした宗介は、勇気をかき集めてかなめに尋ねた。
 点の連なりが線となるように、君と過ごす日々は連なるうちに、君にとっても意味のある形になりはしまいか。
「もし君が不快でないのなら、来年やそれ以降も君に墓参りの予定があれば俺も同行してもかまわないだろうか」
「へ?」
「…こういった申し出は、おかしいものなのか?」
 まじまじと見返された宗介は、きまり悪げに視線をそらす。子供じみた仕草のくせに妙に男くささも感じて、かなめもぎくしゃくと答えた。
「た、ただのお墓参りなんだけど。遊園地とかじゃないし、地味ってゆーか」
「そんなことはないぞ。なかなか貴重な体験だった」
「そ、そう?」
 口ごもるかなめを見やった宗介が、何かを紛らわせるように上を見たり下を見たり、また彼女の顔を見たり、と珍しいことにハタ目からもわかりやすい程そわそわしている。
「…どしたの?」
「仕事の予定を決めることはあるが、未来の…将来というのだろうか、そういう先々のことを約束したのはこれが初めてだ」
 どうも落ち着かん、とぼやいた彼の視線の先で、ぽかんとしていたかなめの顔が真っ赤になった。
 沈黙したままの赤面は、かなり怒っている時に顕著な兆候で、一体何が彼女の地雷だったのかと宗介は焦り、撤回した方がいいのかと彼女の様子を伺う。
 それにしても何故そんな場合ではないだろうに、彼女のこういった怒っているであろう表情に、何ともむずむずするような全身が熱くなるような、他の誰にも見えないように腕の中に強く囲っておきたいような妙な心地になるのだろう、と彼は奥歯を噛みしめた。
 今の衝動は悟られてはいけない。それに、ここは彼女の親族の墓の前だ。こういった心境でいるのは無礼なのではないかという懸念もある。
「……いいわよ、別に」
「そうか。感謝する。ところで千鳥、言っておきたいことがある」
 緊張の余り額に浮いた汗を袖でぬぐった宗介が重々しく口をひらいたので、かなめは顔をしかめて身がまえる。
「な、なによ」
「どうもこれではあまりに無防備に思えるのだが。次回はあらかじめ周囲の墓石を破壊して、ここに相応の強度の施設を設置しておくが、かまわないだろうか」
「かまうわボケぇ!よそさまに祟られたらどーしてくれんのよ、あんたは」
 かなめは緊張の反動でめいっぱい振りかぶったハリセンでもって宗介の横っ面を張り飛ばした上、何度も彼を踏みつけた。
「では、せめて周囲に監視カメラとトラップをしかけておかねば」
「それもだめ!っていうか今日あっちこっちにしかけてあった機械ぜんぶあんたのでしょうが!ちゃんとぜんぶ片づけてきなさい!」
「なぜ気付いた…?」
「なんとなくよ!いーからとっとといきなさい!」
 宗介の尻を蹴り飛ばして、ほんとにもう、と腕組みしていたかなめはしばらくぷりぷりしていたが、ふと笑い出してしまう。
 今までしなかったような仲違いに予想通りのすれ違いがくり返す毎日の、まるで線画が平面から抜け出て立体になるような変化と騒々しさをなんと呼べばいいものか。
「さーてお花見お花見っと。またシオリが脱ぐかもだし、冷えないように何かあったかいもの用意してった方が良さそうね、熱燗とかどーかしら。あんたコンロとか燃料とか持ってない?」
 装備一切合切をフルスピードで片づけて駆け戻ってきた宗介が渋い顔で注進した。
「日本では未成年の飲酒は違法だ」
「銃刀法に違反しまくってるアンタが言うな」
「…アルコールは脳細胞を破壊する」
「日本のお花見にはお酒が付き物なの。あたしが持ってかなくても誰かが持ってくんの!そんでいつの間にかジュースに混じってたりすんのよ、そーゆーもんなの!」
 びし、と指さされて番犬は困った顔になる。
「だが、君が飲酒をするのは…どうも良くない気がする」
 クソ真面目だと思いつつも大事に扱われているようで、まんざらでもない気分のかなめは、それでもいかにもしぶしぶといった体で唇をとがらせた。
「しょーがないわねー、今回は外だし学級委員命令でジュース限定ってことにしとくけど、ブーイング必須だろうし…ハタチになったら酒宴よ酒宴!もちろんあんたも参加だからね」
 宗介は何となく上機嫌の彼女の後ろ姿を眺めて、ぼんやりとした将来のことを想う。
 彼女の親族をまつる場所であるここへ、自分がまた参ることは可能だろうか。…願わくば来年もその次も、その次も。
 それにしても彼女が酔った姿を想像すると、目の前に居たかのごとくありありとその姿が浮かぶのはどういったことだろう。しかも陣代高校の制服姿で。
 強く奥歯を噛みしめる彼を振り返りざまにちらりと見上げ、スカートに添えた手を不自然に緊張させたかなめがボソっと言った。
「あのさ。…あんたあたしの足とか、見てないわよね?」
「…何の話だ」
「なんでもない。気にしなくていいから、とりあえずうしろ歩かないで、横にきて」
「承知した」
 拳を握ってずかずか歩くかなめの隣でしばらく沈黙していた宗介は、何か思い当たるフシでもあったのか、斜め上を見上げてこめかみをぽりぽりとかいた。
「スーパー寄ってくわよ、ソースケはオレンジジュースよね」
 ああ、と応えた相良宗介は背後の墓石に何か気配を感じて振り返ったが他に誰の影もなく、花びらが幾枚か舞うばかり。
 まばたきした彼は、ふと思う。
―かつて聖者と紛われた子どもは、いまはどこに埋まってしまったのだろう。


立ち上がれなどとはと言うけれど
座ったところからなのかおちこんだところからなのか
はたまた平面から立体へなのかそれともなにがしかの企てであるのだろうか

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 艱難辛苦を乗り越えて、花瓶もカーテンもはねのけて


 連日降り続いているせいだろうか、電車を降りてホームに立つと思ったより肌寒かった。手首を返して彼女の年齢にしてはいささか大人っぽいデザインの腕時計をちらりと見た千鳥かなめは、ざっと帰宅後の予定を立てる。
 まず着替えてからお茶を入れて、それからおやつと同時に楽しみにしていた時代劇の再放送を鑑賞。このペースで歩けばじゅうぶん間に合うはず。
 ご飯は――と彼女はななめ後ろを歩いている彼女の護衛を意識する。彼がもし要ると言えば具だくさんの炒飯にすればよし、そうでなければ余った分は後日のために冷凍。そんなところか。
 べつにそうしなきゃいけない訳じゃないけど、学級委員としては何かと騒動を起こしがちなクラスメートと周囲との摩擦は…無くせないにしてもできるだけ円満に収まる範囲にとどめておくのが望ましいし、そもそも彼が自分のクラスメートをやっている理由は「自分の護衛」が目的である以上、多少めんどうでも自分自身がまったく何もしないというのも無責任だと思うし。
 そのためには、周囲とも彼当人とも可能な限りこまめなコミュニケーションを取っておく方がいい。そう長くもない今までの人生で、手痛い教訓とともに学んだことなのだから活かさなければ損だし。…ソースケには着替えがすんでから家に入ってもらった方がいいかも。
 と、誰にともなく心の中で言い訳しながらいそいそした足取りで自宅のあるメゾンKのエレベーターホールまで向かったかなめを待っていたのは、水道会社のバンと彼女と同じく帰宅して自宅前で足止めをくっている人々の集団だった。
「ちょ、ちょっとどういうこと?入れない?なんで!?」
 集団の外周を回り、隙間を見つけて管理会社職員の声の届くところに移動しようとする彼女をかなめの護衛兼陣代高校のトラブルメーカーである相良宗介が引き止める。制服下のホルスターに収めた銃に手をかけ油断無く周囲を見回している様子が、見慣れない者からするとなんか怪しい人にしか見えないということが、あいかわらず彼にはさっぱり理解できていないらしい。
「不特定多数の集団の中は危険だ、千鳥」
「あいにく全員ご近所さんよ!」
「だが、彼らの中に家族を誘拐され脅迫を受けている者や買収されている者がいないとも限らんぞ」
「たとえそうだとしても、何でみんなあたしの知ってる人なのよ!すぐバレるじゃないの…」
 あれ?全員知ってる。あのおじさんもあの子もあのお姉さんも学校の行き帰りなんかで見かけた程度だけど…何で?
 という彼女の抱いた疑問の答えはすぐに出た。みな同じ階の住民なのである。背後で動くエレベーターは上の階や下の階へはつつがなく乗員を運んでいるようで、彼女の住む階にエレベーターが停まったときだけ不機嫌そうな顔をした住民がエントランスまで引き返してくるのだ。
「ちょっと!まさかうちが原因なんじゃないでしょうね!?」
 かなめは取りあえず自分の護衛である現役傭兵の襟首をつかまえて自分の目線まで引き下ろし、険悪な眼差しでにらみ据える。彼女の護衛のためと称して自宅内外から登下校時、校内に至るまで彼のやらかした迷惑行為は数知れず、彼女の疑惑もしょうがないといえばしょうがない。
「あたし今から大江戸捜査線の再放送見なきゃいけないのよ?それをあんたはっ!」
「ま、待て千鳥」
 誤解だ、と呻く宗介の詰め襟の根本をつかんで揺さぶる彼女の背後から、
 ばしゃあ。
 と、吹き出た水道水がまっすぐに彼らを直撃した。

「…つまり、うちの階の水道管がおかしいから一時的に閉鎖して調べてた、ってわけなんですね?」
 濡れ鼠のかなめはげんなりと管理会社の社員に詳しい事情を聞く。
 水道会社の手違いでチェック・調整用の管から吹き出した水は、不幸中の幸いと言うべきか激しくもめる高校生男女に恐れをなした他の住民が彼らの周囲から退避していたため、彼女しか襲わなかった。かなめはびしょ濡れになったが、立っていた位置のせいで宗介はわずかに水しぶきを浴びた程度である。
「すみません、あともう少しお待ちいただけますと助かります。後ほどクリーニング代も請求してくださって結構ですんで…」
「…はあ…」
 借り物のタオルを肩にかけたかなめは、ますます濡れそぼった肩を落とした。それでは再放送に間に合わない。見回したところで、遠巻きの集団の中にタオルや着替えを借りられて、尚かつ再放送を見せてもらえそうな心当たりなどまるでない。
 数年前に母が亡くなり父も年の離れた妹も同居していない現在、むしろクラスメートである常磐恭子の母親の方が親しいほど自分の近所づきあいは貧相なものになってしまっている。角部屋で隣家が一件であることや、わりに防音がしっかりしていることがいっそありがたいような「事情」もあるのが裏目に出まくったといえよう。
 こういうときに、もしかしたら声をかけてくれそうなおばちゃん層がいないのは今が買い物に最適な時間帯だからだろうか。恨むべきは最寄りスーパーのタイムセールなのか。もともとどちらかというと、この気取ったマンション内には少ない人種ではあるにせよ。
 こんなことならあたしも買い出しに行っとけばよかった、いやいややはり残り物を片づけてからでないと。せっかく何でも食べる、好き嫌いがないというか味覚が麻痺してるせいで他には出せないような実験スレスレのチャンポン料理でもクソ真面目にきっちり胃袋に収める人手がいるというのに。
 あー…でもこれじゃどっちみちすぐごはん作れないじゃん。どうしよう今晩のカレー丼風エスニック系炒飯イカフライのせ。って、今はそれどころではなく。
 ため息の途中で小さくくしゃみをして細い肩をふるわせたかなめを見て、むう、と考え込んだ宗介が何事か言おうと口を開きかけた時、かなめがうつむいたままぼそり、と尋ねた。
「ソースケんちってテレビあったわよね?」
「肯定だ。映像記録媒体や日本国内のニュースを視聴するのに使っている」
「そう。じゃあ行きましょうか」
「ち、千鳥?」
「あたし、あんたとあそこに立ってなきゃ濡れずに済んだのよねえ?」
 水の盾にもならなかった護衛とやらを上目づかいににらみ付けて拳を握りしめた彼女は、すらりと伸びたももにまとわりつくスカートの感触に苛立ちつつも、向かいの建物に向かってずかずかと歩きだした。
 彼女に付き従う番犬のような彼は、番犬にしてはいささか剣呑な眼差しで周囲の視線を払いのけると、薄く下着の線の透けてしまっている夏制服のすそから水を滴らせた彼の護衛対象の背を守るように後を追う。
 黙ったまま上がり込むのに抵抗があるだけで特に言葉の意味など考えず「お邪魔します」とぶすくれた声で述べたかなめは、何やらごそごそと扉周辺をチェックしている宗介について玄関に入った。既に靴の中まで濡れているようだが敢えて考えないで靴下を脱ぐ。重要なのは再放送だ。ハプニングで手間取ってしまったから放映時間ギリギリだろう。
「テレビ借りるわよ」 
「了解」
 白い半袖をべったりと肌に貼り付かせたかなめがリモコンを片手にキーをいじる。幸いすぐに目当てのチャンネルは見つかったようで、肩に湿ったタオルをかけたきりの彼女はその場に座り込んで画面に見入った。わきに置いた鞄からも水滴はつたい落ちているが、今は番組に集中したいらしく見向きもしない。
 同じ隊の仲間であれば、それが何かとかまってくるうっとおしい金髪の同僚であっても自分でどうにかするだろうと気にもとめないし、彼女本人から要請されてもいないのだから余計な事は控えた方がいいのではないかと思いながらも、彼はかなめの細いうなじに絡む黒髪の筋を見つめる。  
 現在の気温は自分にとって問題などない。彼女とて見るからにガタガタ震えているわけでもない。だが何となく、このままではいけない気もする。
 何より、いざという時であるにもかかわらず彼女を庇う事ができなかった。殺気も存在せず予想外の事故であり、さらに無害な水道水であったとしても護衛の自分が一歩も動けなかったというのは、任務上あまりにも信用にかかわる事態ではないのか。既に学校生活その他において、それ以上の事をやらかしてはいるようだが。
 そしてどういう訳か人畜無害な水をコップ一杯かぶるだけでも、彼女の周辺では被弾したかのごとき大事故扱いであることが多く、遺憾ではあるが自分はそういった事態を防げない事例が多い。
 沼地や川でもなく、重要な精密機器のそばでもない都市内部においての毒物や薬品でないただの水分、しかも飲用にすら適する少量の水を、溺死させるためにヘルメットに満たすわけでもなく窒息させるためにタオルに染みこませるでもなく危険物たらしめる事態など、自分には想像もつかない。
 にもかかわらず、なぜか住民の好奇の視線が何か彼女を見えない刃で傷つけているようにも、ただ濡れただけで罪などないはずの彼女が、どこか当たり前のように咎めを受けているようにも感じられてしょうがない。
 お気に入りのテレビ番組に夢中の彼女はどちらかというと楽しげで不愉快そうでもなかったが、きめの細かい色白の肌は常に見かけるより血色にとぼしい。
 なんであれ、不要な体温低下は体調のためには好ましくないはずだ。
 逡巡した末、宗介は湯を沸かしてコーヒーを入れて彼女の背をうかがった。街中では見かけない奇妙ななりをした人物らの駆け回る番組はちょうど幕間に入ったようで、画面に見入っていたかなめの肩の力が少し抜けたのが見て取れて、何故か彼もほっとする。
「飲め、千鳥」
「へ?…あ、あり、がと」
 湯気の立つアルミの簡素なマグカップを突き出されたかなめが、びっくりしたように彼を見上げ「これ、コーヒー?」と尋ねた。
「ああ」
「よく飲むの?」
「いや。来客用だ」
「そうなんだ」
 焦げ茶色の大きな瞳に見つめられて急に居心地の悪くなった彼は、かなめにカップを手渡して「他に何か要るものはないか」と、はっきりはしているが抑揚のない声で尋ねた。
「あー、…うん」
 テレビを見たらすぐに帰るつもりでいた彼女は、そういやこの格好のまま帰るとちょっと恥ずかしいかも、ということに思い当たったが、タオルで目立つところを拭いてしまえば大した距離でも無いし、と首にかけていた工務店の名入りの薄いタオルをさわってみる。すでに濡れ髪に含まれていた水気を吸ったそれはじっとりとしており、目的を達する程の吸湿力は無さそうだ。
「えーと、タオル貸してもらえる?」
「了解した」
 差し出された薄手のタオルは野戦服と同じような濃いオリーブグリーンで、こういう色って男の子向けだからなのかなと思ったかなめは、礼と共に「なんか珍しい色のタオルよね」と述べた。
「うむ。敵から見つかりにくいと懇意にしている業者から聞いたのでな、何枚か入手したうちの一枚だ。日本の自衛隊でもこの色のものが採用されているらしい」
「そ、そーなんだ…」
「一枚で足りるのか?まだあるぞ」
「あー…あと二枚くらいあると嬉しいかも」
 抹茶を拭いた雑巾みたいな色ねーなんて言わないでよかった、と無表情ながらも得意げにタオルを差し出す宗介から一般家庭ではあまり用のなさそうな色の物体を受け取って、再び礼を述べたかなめは窓の下を見やる。
 工務店のつなぎを着た作業員が数名、せわしなく目下の階をうろついているということは、まだ工事は終わらないらしい。
 それにしてもうちの階、ソースケんちからほんとに丸見えって、どーなの。まあ入り口側だけどさー…。
 まさしく千鳥宅の出入り口を見張るために借り上げられたセーフハウスである以上それは当たり前のことなのだけれど、自分が見張られる事情が基本的に自分のせいではないとしているごくフツーの女子高生はがりがりと頭をかき、何も面白いものの無さそうな室内をとっとと見限って、時間潰しに手持ちの教材で宿題でも済ますかと学生鞄を開ける。
 外側はともかく中味はおおむね無事ではあったが、妙にざらついた感触と共に手に取ったノートの表面に薄く黒っぽい筋がついて、げっとかなめは顔をしかめた。
 泥かあるいは砂か。それらを借り物のタオルで拭きかけたかなめはじっとりしたポケットから自前のハンカチを取り出して手とノートを拭き、ついでに中のものも引っぱり出す。
「…あーあ」
 絆創膏やティッシュや飴は捨てるしか無いだろう。リップは大丈夫。大人向けなデザインのブランド腕時計は生活防水仕様だが、いちおう水気をぬぐっておいた。
 防衛色のタオルのおかげで髪から水が滴ることもなくなってきたので、かなめは床に広げた教科書とノートを開く。何か四角い機械の乗った窓際の会議机の他に意外にきちんとしたリビングセットもあったけれど、立ち上がるのもおっくうで、何より濡れたまま椅子に座ってシミをこさえるのがうっとおしかった。 
 あんたのせいでこうなったんだからね、ともし文句を言ったとしても、もしかしたらソースケが自分をかばって濡れ鼠とか二人揃ってびっちょびちょとか、そっちの方がありえたし、ぶっちゃけソースケはそういうこと気にしない気がするし。男なのもあるけど。
 そもそも原因が彼にない以上それはただの八つ当たりで、彼がいないときにこうなっていたら自分はひとりで途方にくれるしか無かったことを思うと、工事の始末がつくまで時間がたつのをやり過ごすのが、一番穏便でマトモなやりかたなんだろう。
 大人だったらこういう時どうするんだろう。管理会社の人に車で待たせてもらうんだろうか。
 これがハリウッド映画なら、たいがい相手が大金持ちでクリーニング代も着替えのドレスも下着も、待ってる間のホテル代や喫茶店代なんかもぜんぶあっち持ちだなんてご都合な展開なのかもしれないけど、現実のニッポンで工務店の人に高校生がそこまではさせられないし、そもそも交渉するどころか見たいテレビを優先して、とっととその場を外してしまったのは自分の方なわけで。
 クリーニング代出してくれるって言われただけありがたいんだろうな、いくら回りが見えなかったにしろ自分たちがあんなとこにいなきゃよかったわけだから。これで風邪なんかひいたら、薬代をもらえるかどうかはぎりぎりなんじゃないだろうか。
 それにしてもソースケのせいじゃない災難なんて、ひさしぶりかも。
 頬に貼り付いた生乾きの髪を肌からはがすように払いのけると、じゃりっとした手応えがあった。
 水道「工事」なんだから、水以外にも色々混じってたんだろうと思い当たって、下水じゃなかったっぽいだけマシかときつく眉をしかめた彼女の視界を横切るように、何か暗い色の布の固まりが教科書の横に置かれた。
「これに着替えろ、千鳥。浴室は玄関脇にある、湯はすぐに出るはずだ」
 驚いて見やった先、彼はすでに自分の宿題に取りかかるべく着席するところだった。
「あ、ありがと…」
 うむ、と仏頂面でうなずく彼の仕草にどういうわけか落ち着かない気分になりながら几帳面に畳まれた衣類を広げてみれば、フリーサイズらしいTシャツと緑系統の迷彩服の上下で、濡れた制服よりマシというレベルのものではあったけれど、思いがけずくすぐったいようなあったかい気分になった。
「じゃ、お言葉に甘えて、お風呂場ちょっと借りるわよ」
「了解」
 自宅とは比べものにならないほど狭い脱衣所とバスルームで湯を浴びる程度でもずいぶん気分が落ち着いて、かなめは知らぬうちに心がささくれ立っていたことに気付く。
 彼氏彼女の間柄でもない一人暮らしのクラスメート男子の家で風呂を借りるなど、高校二年の女子としてはそうとう逸脱しているようにも思えるし、彼はこういったことに対して妙にハードルが低いような気もする。
 それでいて優遇もされているような気分になるのは自意識過剰というものだろう、と振り払うように頭をふって小さなタオルで体を拭き、かぶった衣類から自分でないものの匂いを嗅いだとたん、彼の手際の良さの原因に、ああそうか、と気付いてしまった。
 あの時、テッサにもこうしてあげてたんだろうな。
 お互いがんばりましょう、なんてフェアプレー精神を発揮されたところで、フェアなつもりなのはあの子だけだろう。
 ソースケからの扱いにクラスメイト男子と「女の子」ってくらい差がある上にあの顔と体格でおまけに同じ部隊の仲間だなんて、こっちがそのつもりでなくてもイヤミだっつーの。
 あの子に悪気は無いんだろうし基本的にいい子だけど、なんであそこまで突っかかってくるんだか。よっぽど大差で勝たないと勝った気にならない、だとか?自分の納得いくまでサヤ当てに付き合えってか、バカバカしい。
 大体、たまたま宗介があれだけ鈍いから確定してないっぽいだけで、日本で一般的に風呂の貸し借りをする異性なんて、告白してようがしてなかろうが「付き合ってる」の中に入るんじゃないか。そのつもりがないのは当人たちだけ、なんてバカバカしい状態なのかもしれないけど。
 まあ、この状況だけに限れば、自分だってそう見られててもおかしくないのかもだけれど、たかが水濡れをどうにかして着替えを貸すのにハリウッドセレブじゃない庶民はわざわざホテルを借りたりしない、って程度の話で。
 テッサだって、目の前で困ってる女の子を見捨てるような相手なら、彼氏であったとしても尊敬できないだろうし、…自分だってそうだろうし、それでヤキモキするしないはまた別の話だし。
 あの子なら「サガラさんのおうちでシャワー借りちゃいましたー」なんてあたしにもいちいち言ってきそうだけど、そういうことはあたしには無理だ。相手がクラスメートだなんてもってのほかで、テッサにも、たぶん、言えない。
 こうしてソースケにお風呂を貸してもらえるのはありがたいにせよ、棚ぼたみたいに喜べない辺りで、もうめいっぱい差を付けられてる気がする。
 ソースケとどうこう、というより「女の子」として。…男子だろうが先生だろうが誰に手を借りたとしても、あたしにはこういうことでかまわれるのって、あんまり自慢することじゃない。むしろ、あまり吹聴されたくない話だし。
 湯気で曇った四角く小さな洗面鏡を指先でこすると、水滴の流れ落ちる鏡面のなか薄暗い照明にぼんやりとした人影が映る。大人びた冷たい顔立ちには、妹のような愛嬌も銀髪の妖精のような可憐さも見当たらない。
 我ながら「かわいくない」。
 あたしが男なら、絶対テッサを選ぶ。
 その差は、顔じゃなくて、…態度でさえなくて。
 若さと見た目でモテるのなんかほんの一瞬だっつーの、だいたいそれが全部なら可愛いおばあちゃんとか色っぽいおばさんとか、この世にいるわけない。
 自分だってチャラい金持ちイケメンに幻滅した以上、なんかそーいうんじゃないよねーとは思ってたけど、決定的にわかってしまった。
 テッサとかソースケとか、クルツくんやマオさんも、一緒にいるときはあたしに見せるのとは違う顔をしていて、いっそブサイクだったとしても「かっこいい」んだろう。
「うっわ、似合わねー」
 無理に笑って毒づくも母親によく似た面差しは疲れたオネーサンにしか見えなくて、鏡から目を逸らしたかなめは、軍服のごわついた分厚い生地が目立って欲しくない体の凹凸をうまく隠すのを確かめたのち、びしょ濡れで着けようのないブラジャーを脱いだ服の奥にくるみこんだ。
 下は一度湯でゆすいだあと固く絞って何度もタオルに挟んではみたけれど、乾かしたとは言いがたい肌触りで、布のかたちが表に染み出て来ないか気になってしまう。
 た、体温で乾くって!と自分に言い訳してみても、ビミョーな肌触りにイヤな予感が増すだけだ。
 あの時、テッサに着替え貸してあげればよかった。きっと下着の替えなんか無かっただろうし、サイズはともかく探せば少しはマシなものがあっただろうに。状況としてお茶は入れられたんだから、ぜったいムリってことは、なかったはず。
 柄にもなく女の子扱いされたくてお重なんて張りきったぶん悲しくはあったし、みじめだともいたたまれないとも思ったけど、女の子として困ってるテッサに、知らなかったとはいえ意地悪をしなきゃいけない道理はなかったし。
 なんでそういうとこ、気付かないかなあ、あたし。
 キョーコとかシオリだったら気が付きそうなのに、肝腎なとこががさつっていうか。
 まあいちおう、ちょっと前に学習したのかもしんないにしろ。このあたしが、よもやソースケに気配りで負けるなんて!とわざとらしく落ち込んで落ち込みきらないようにおどけて見せるも、肌の間近からただよう匂いはまっさらな布の匂いではないのが、よけいに胸の奥にこたえる。
 いっそソースケとテッサが、はた目にも当人同士にもわかりやすくラブラブだったら、シオリと彼氏のことみたいに気持ちよく祝福できるんだろう。
 …たぶん。
 
 浴室から出てきたかなめからは、セーフハウスにはない甘い香料のような匂いがする。普段はかすかなはずのそれがこうも強いのは、二人きりでいるせいというより、彼女の体温が上がっているからなのだろう。
 …気を抜くと、めまいがしそうだ。
 同年代の上官の立てる物音に落ち着かない思いをした経験から、できるだけ大きな音の出るような雑用を選んで掃除機をかけたり洗い物をしたりしていた宗介は、正体のわからない敗北感のようなものを感じつつも、視線でかなめの背を追った。
 薄い湯気と混じり合う、硝煙とも死臭とも油の焦げる臭いとも遠すぎる香りが目に見えない障壁のように彼女の全身を覆っているのは、今回に限った事ではない。
 肌がふれ合うどころか打撲傷のできそうな勢いでの接触も何度もしている。そんな衝撃でさえも破れることのない何かが自分と彼女の間にはあって、肺の奥深くにまで吸い込んでも何の危険も無さそうなこの香りこそがその正体であるかのような、この無害きわまりないものこそが最も自分を危険に対応できないほど変質させるもののように感じられて、彼は細く長く息を吐くと、勝機のうすい状況に置かれたときに似た身体反応を通常運転に向けて整えた。
 テスタロッサ大佐が自分の部屋でしていたことや要求されたことを参考に行動してみたものの、緊急時の手助けとしてこれでよかったのだろうかと目の端でかなめを追えば、何となく頬の色が悪いように感じられる。
 湯で温まったはずではないのか、となおも注視するうちに、腰の辺りにタオルを巻いているのが目についた。
「具合でも悪いのか」と尋ねたら「大丈夫、もうすぐ帰るから」とそっけない声が返ってきて、釈然としないながらもいったん引き下がった宗介は、後ほど様子を見てまた声をかけることにすべく向かいの建物を伺うも、状況の進展ははかばかしく無さそうに思えた。
 うー、きもちわるい。
 窓の外を見やる宗介と同じ方向を見おろしても、まだ作業服の数名が工具箱を脇に置いたまま作業していて、帰る様子もない。
 濡れた下着は案の定、体温で乾くどころかじわじわと冷えてくるだけで。
 限界までがまんしたかなめは宗介をちらりと見て、意を決した。
 …さすがに下着は借りられないにしても。
 コイツなら怪しまれはするかもにしろ、そこまで深く突っ込まれずにごまかせるだろう。よし。
「えーとごめんソースケ。悪いんだけどもう一枚ズボン貸して。はき替えたいの」
「了解」
 理由を聞くこともない彼の態度に、かなめは心底ホっとする。
「じゃ、これも洗って返すから、しばらく借りとくわね」
「うむ」
 着替えを終えて戻ってきた彼女がさりげなくかつ素早くしまい込んだズボンを見た宗介は、思ったまんまを口に出した。
「千鳥。もしや下着が濡れているのではないか。染みがあるぞ」
 あ、あああああああああ、もー!!
 どーしてコイツこういう時だけ、と耳まで真っ赤になった少女は、きっ、と朴念仁をにらみ付ける。
 涙目のオンナノコのメンツになどさっぱり気付かないまま、少年傭兵は極めて現実的かつ親切な解決策を提案した。 
「何か替えになるものがあれば貸すぞ。必要か?」
 あんまり堂々と胸を張られてしまって、怒鳴ろうとしていたかなめの勢いがしぼむ。
 彼当人がここまでそれについてどうとも思わないのなら抵抗しても意味がないというか、確かに水気がなくなるまで何枚もズボンを借りるよりいいし、何より冷えが限界にきてしまいこれ以上は違う方面でみっともない不具合を起こしそうで、とうとう彼女はとてもじゃないが通常ならクラスメート男子には頼まないような類の頼み事を口にした。
「ぱ、ぱんつ、……かしてほしいんだけど」
 大きい声を出そうとしたのが途中から消え入りそうになって頬が熱いのも呪わしかったが、彼女はさらに勇気を奮い起こす。
「でっできれば新しいやつ、ない?今度買って返すし、なかったら、が、がまんするから!」
 がまんの方向を「この状況で耐える」に対してなのか「未使用ではないもの」に対してなのかを定めず口に出してしまったことに後から気付いてかなめはいたたまれなくなるが、どちらにしたものかもう自分でもわからなかった。
「問題ない。ちょうど先日購入したものがある、しばし待て」
 かたく目をつぶって小さい子供みたいにわめいた後、うつむいてもじもじと頬を染めているかなめに向かって力強くうなずいた宗介は、衣装入れの段ボールから薄いビニールに包まれた新品の男性用下着を取り出す。
 これもまたタオルと同じく濃いオリーブグリーンであったが、今度はかなめは特に感想を述べることなく受け取って「何度もごめん、お風呂場借りるね」と逃げるように立ち去った。
 鏡に映る自分を避けるべくうつむいて包装を破き、手に取った伸縮性のある生地の手ざわりを否応なく感じつつも、彼女は本来あるべき持ち主の性別に合わせたデザインに対して心の底から無視を決め込む。 
 …生地の薄いジーンズをじか履きしたらこんな感じ、なのかな。
 ううう、と落ち着かないながらも乾いた布地がそれだけで暖かいことを実感して、かなめはへたり込みそうになる。
 これ洗濯しても返せないし、うちに帰ったら捨てるしかないか。取っといてもどうしようもないし、生地のせいでそんなすぐにズレたりしなさそうだけど、どう見ても…男ものだし。
 ソースケにも口止めしなきゃだよね…借りといてなんだけど、悪気がないぶん、ぽろっと人前で言いそうだし。口数少ないくせに地雷はばっちり踏むんだから。 

 浴室から出てきたかなめは、あまりサイズが合っているとは言えない服装が動きづらいのか、常のような活発さを見せずテレビの前に座り込んで宿題の続きをしている。
 彼女の役に立てたことに対し高揚に似た深い満足感を覚えつつも、この得がたい機会に他に自分に出来ることはないか、と彼女を観察しているうちにぶかぶかした服の奥が白くのぞいて見え、宗介は理解できない罪悪感に駆られて即座に視線を外して他の箇所に目を戻すが、小さな爪先からも手の先からも同じ印象がぬぐえない。
 濡れたせいで常よりつややかに光る黒髪がいくぶん重たげに細い背や肩ににかかっていて、いつもは気の強い彼女が頼りなげに見えるのを疲労のせいだろうと思い直すも、それだけではない気がして目が離せなかった。
 こっそりと手の平の中にしまい込んで見守るような、自分しか知らない場所に儚い花の咲いているような。
 得体の知れない疼きと熱が胸にこもるが、あまり長く抱えていていいものではない不正なもののように感じて、彼は襟元に指を入れてゆるめ、かなめに気付かれぬよう細く長く息を吐く。
 彼女といると、たまにこんなふうに困惑に似た落ち着かない気分になる。
 護衛という任務にはむしろ邪魔ではあるけれど、けなされたり嫌われたりする痛みとはまた別で、…悪い気分ではないようにも思えるが、どこか邪さにつながってしまいそうな気配をも感じ、あえてその感触を断ち切るために腰を上げた宗介は少ない荷物の中から予備の毛布を引っぱり出した。
「千鳥。体温が低下すると消耗するぞ、これを使え。想定より長期戦になるかもしれん」
「へ?あ…うん」
 うむ、と肯いて台所方面に向かう彼に、確かに冷えるかも、と暗い色の毛布にくるまりながらかなめが尋ねた。
「あんた、宿題は?」
「今からやる」 
「もー、早くすませなさいよ、このノート貸してあげるから」
「いつもすまん」
 湯気の立つカップを二つ手にもって戻ってきた宗介は、濃く暗い色の中で手足の先と顔だけが白いかなめに、迷彩用の塗料がなければさぞ目立ってしまうだろうと内心顔をしかめる。今はその必要はないにしろ、そうしなければならない状況も迎えうる以上、今後の用心はしておくべきだろう。
「…何よ、人の顔じろじろ見て」
 毛布による体温保持が効いたのか、薄く頬を染めてむくれるかなめはいつも通り元気なようで、動揺か安堵か自分でもわからない揺れを顔に出さぬよう彼はむっつりとカップを突き出し手渡してやった。
「またコーヒー?」
 不満そうな言葉とうらはらにどこか笑っているような表情の少女に落ち着かない気分になって、宗介は糧食の放り込んである段ボールを目で探す。
「塩分を摂取したいのなら備蓄があるが」
 すました顔で頬にかかる髪を耳の後ろにかけ、コーヒーをすするかなめを注意深く横目で見やると、特にそれ以上の文句はないらしい。
「これ、けっこう甘いよね」
「こういった作業の際の糖分の補給は重要だからな」
 他愛ない言葉を交わしていると二人で野営でもしているかのような気分がして、悪くない、と強く感じると同時にそれについて何故か浮かんだ不謹慎さを払拭しようと咳払いしたソースケに、かなめが世間話のような調子で尋ねる。
「この前、テッサにもコーヒー入れてあげたの?」 
「肯定だ」
 即答したものの、ただよう空気が今までの親密さに取って代わってうそ寒くなったように思えた宗介は、テレサ・テスタロッサ大佐が本当に自分の上官だということは既に彼女も知っている事実であって事情も説明したはずだ、と誰にともなく脳内で言い訳する。
「いい子よね、彼女」
「そうだな。信用できる人物だ。君にもよろしく伝えてくれと何度も言っていた」
「ふーん、そう。ほかに何か言ってた?」
「いや、それだけだ」
 階級上、彼女とはあまり会話する機会がない、という事実を伝えると何かかなめの期待に応えられない下っ端だと強く認識されてしまうだろうことが予想できて、言おうか言うまいか選択しきれないでいるうちに適当につけたテレビの音にまぎれて「…あの時さ」と言いかけた彼女は、宗介には聞こえなかったと思ったのか口を閉じる。
 何を聞くつもりだったのかと、何故か尋ね返せなかった。
 膝を抱え虚像に熱心に見入るかなめの横顔に青い光が反射して、まるで独りでいるようなその表情に、胸がずきりと痛んで抑えようもない。
 大っ嫌いと言われた時と同じ痛みを、何も言われていない今、どうして感じてしまうのか。
 自分が側にいるのに自分の方を向くこともない彼女に「あれは君の方など見向きもしない、そもそもただの明滅しているだけの電気信号だ」と弁明したくてたまらなくなる。
 なのに自分はあれらよりつまらない。そう思われていても仕方がない。
 君を楽しませる術など持ってはいない、たかが水しぶきからさえ守ってやることも出来ない。こちら側の世界に限らず、共通の顔見知りの相手が上官というだけで間をうまく取り持つことさえも。
 ふり向かない細い背中に得体の知れない焦りがあふれて何か言おうとしたけれど言葉にならず、口を開きかけて閉じた彼は再び息を吸い込もうとした。
「え?なに?」 
 ふいに彼を見た彼女を取り巻くように、音が切り替わったのかCMがけたたましく鳴り響く。
「いや。何でもない」
「?」 
 画面に視線を戻した彼女の傍ら、宗介は目をしばたたいた。
 先ほど自分は、千鳥かなめに何も話しかけてはいなかった、はずだ。
 それとも、自分は何か彼女に言っていたのだろうか。
 そう確かめたかったが、彼女が熱心にテレビを見ている最中に余り話しかけると怒られることは経験済みの上、自分の信用にかかわるほどおかしな話でもある。身体のコントロールを失うことのある護衛など安全装置のない火器のようなもの、自分のようなプロならともかく素人の彼女にとって不安材料以外の何ものでもあるまい。 
 彼女が振り向いた瞬間の心臓の音は今も頭蓋の中で反響していて、テレビの内容がますます理解できない。かなめの動く気配をうかがうとほっそりした腕が無遠慮なほど白く伸び上がっていた。
「あー、見た見た」 
 時々面白くはあったけれど、内容はほとんど頭に入らなかったことを悟られないように、かなめはわざとらしく伸びをする。クソ真面目な仏頂面が真横でテレビを見つめているだけで、こんなに気が散るものだとは思わなかった。
 少しは話しかけてくればいいのに。
 ソースケは少し元気がないみたいに見えるけど、気のせいか、もしかしたらこの部屋の照明のせいかもしれない。
 充分に明るくはあるけれど、間に合わせか事務所みたいな色の光のもと、一人の時の彼は何を思っているのだろう。自宅の食堂で見る彼とはやはり違う顔なのか。
「っかー、もうこんな時間?お腹すいたあ。ソースケは?」
 む、と時計を見て立ち上がり窓の外を注意深く見下ろす宗介のわきをすかす様に自宅のある階を見やれば、すでに日は暮れきっているというのに作業員はせわしなく作業中で、何人かに囲まれて頭を下げている作業着のおじさんもいた。思ったより大工事になってしまったらしい。
「あっちゃー、今日は晩ごはんうちで作るのムリみたいね」
 まあいっか、もうおっくうだし。と近所の出前を取るかスーパーで弁当を買うか家計と照らし合わせて考え込むかなめに宗介は「食糧ならば十分あるぞ」と黒っぽいビニールパックを何種類か段ボールから引っぱり出して見せた。
「このまま食べられるが、加温することも可能だ。どれがいい」
「う、えええ何これ非常食?…なんかおすすめある?」
「うむ、これなどどうだ。量も栄養価も申し分ないぞ。一週間分入っている」
「そんなに食べられないわよ」
「そうか?ならばこれを」
 それが戦場育ちの元アフガンゲリラの少年にとっての最上級のもてなしであることなど思いもよらないかなめは、おっかなびっくりと好奇心半々で英文で記されたパッケージを選んでの裏の説明を読み、缶のフタをはがして電子レンジで温める。
「あちちち、っと。あ、ソースケのもあっためる?」
「む、うむ。頼む」
 かなめは、何か固い仕草でうなずいた彼のぶんもレンジに放り込んでやる。
 腰に手を当てたまま「ひとの分を先によそいなさい」とお母さんには言われてたのに自分のを先にすませちゃったなあ、と息を吐いた彼女の背後、何も変わりのないように見えて付き合いの長い同僚がその様子を見れば驚くほど身にまとう気配を上下方向に変化させながらも、宗介はテーブルの上を片づけてペットボトルの水を二本置いた。
「はい。熱いから気をつけてよ」
「了解」
 いただきます、と手を合わせて先割れスプーンを四角く平たい缶に突っ込んでどろどろしたものをすくい上げ、おそるおそる口に運んだかなめは、その何とも言えない風味に苦笑した。
「うはー、変な味」
「そうか?これは美味い部類に入るのだが」
 同じものを特に何のリアクションもなく口に運ぶ宗介に、ご馳走になっといて酷い言いざまだと思ったけれど、かなめは料理の批評を続けてしまう。
「なんだろこれ、グラタンじゃないしマヨネーズじゃないし、ええ~?」
「ヌードルだろう、そう書いてあるぞ。…他は見当がつかんが」
「ヌードルぅ?原型なくなってない?てか他の材料なんなの、これ」
 あらかた食べ終えた宗介が沈黙したまま水を飲んでいるのを見て、何となく彼の気配がしおたれているように感じられたかなめは、あわてて言い足した。
「こ、今度あたしがもっと美味しいもの作ってあげるわよ」 
「そうか」
「あー、お礼っていうか、ほら。迷惑かけちゃったし、その」
 あんたが好きかどうかわかんないけどさ。
 うつむき気味にぼそぼそ呟くかなめの言葉と表情に胸の奥が妙に縮こまって熱くなり、宗介は咳払いして彼女の言うところの変な味の料理の最後のひとすくいをかき込む。味はいつもと変わらないのに、妙に満たされた気分になった。
「…君の作るものは何でも美味いぞ」
「そ、そりゃー普段こんなのばっか食べてたら、何でも美味しいわよね」
 かなめの憎まれ口をそうとは知らずに間に受けて、そういう意味ではない、と言いたかったがうまく言えない気がして宗介は口をつぐむ。沈黙にきまり悪げにトレーの中身をつつくかなめは、それでも残さず口に運んでいた。
 食事に不自由しているわけでもない彼女が、文句は言っても手を付けた食事を残さないことが、何となく好ましい。
 前線では足りないなどと文句を言っていても物資の豊富な基地に戻ればメニューが気に入らないと即座に残飯扱いにして、ひどいときには腹いせにそこらにブチまけるような連中とも組んだことは幾度もあるが、そんな連中との作戦に限って楽に成功したためしがない。それを思えば、彼女と組んだ方が常に勝ち目のありそうな、何か他に腑に落ちるような心持ちになる。
「何よ、じろじろ見て。ごちそうさまでした!ほら片づけるから、そっちのトレイも寄こしなさい」
「うむ、頼む」
 あまり中味のたまっていないゴミ袋にてきぱき振り分けたかなめは、荷物をまとめて窓の外を見る。どうやら工事は終わっていたようで、さすがにここに泊まるなんてムリだしね、と胸を撫で下ろして振り返ると、宗介がほぼ真後ろに無言で立っていた。
「こ、工事、終わったみたい」 
「そうか」
 淡々と答えられて、かなめはそっぽを向きながら髪で熱くなった耳を隠す。泊まらないにしても、充分知られたら恥ずかしいことはしてしまっている。やましくはないけれど、バレたらいたたまれない思いはするに違いない。
「こ、このこと学校のみんなには言わないでよ?」
「わかった。約束しよう」
「絶対だからね」
「ああ」
 ことさらに匿秘するようなことはないが、何故か彼女と任務以外の秘密を共有するということに心がはずんで、彼は深くうなずいた。
 目に見えて元気になった宗介に、さっきはおなか空いてたのかな、と納得したかなめは生乾きのスニーカーに足をつっこむ。靴と合わない以上にサマにならないお揃いの格好が気恥ずかしくて、家までの見送りを断ったけれど案の定「危険だ」と言い張られ、わざとらしくため息をついてやっても通じないのもいつも通り、すでに他の人は帰宅済みらしく人気のない廊下にもほっとした。
「外、真っ暗だね」
「夜襲には少々明るすぎる。だが、君が一人で出歩くのに安全というほどではない」
「へーへー、そーでしょうとも」
 機嫌を損ねられることも覚悟で説得したかなめは「はいはい」とため息をつきはしたがその後の反論はなく、自分と肩を並べて集合住宅にしては立派な廊下を歩いている。
 同じ部隊に所属しているかのような姿に頼もしさと連帯感を感じもするが、彼女にはやはり、学校の制服の方が似合うと強く想った。
 いま属する組織の掲げた紋章のごとく、盾と剣でもって守るべきひと。
 上官は雲の上の存在とはいえ、それでも自分と同じ世界の住民だけれど、彼女はもっともっと遠くの、乾いて明るい青空こそ似合う学舎にいてほしい。 
「今日はありがと、助かったわ」
「役に立てて何よりだ」
「じゃ、またあした。おやすみなさい」   
「ああ、おやすみ」
 そっけなく閉められたドアに背を向けて、不審がられないよう素早く立ち去る。体の内側が暖かくて身は軽かったが、セーフハウスに帰り着くと何故かため息が漏れた。
 このまま、あの扉の内側にとどまれたなら、彼女を扉の内にとどめておけたら。
 薄い布を重ねるようにつのってゆく想いをどうすることも出来ず、今日のできごとを事細かに振り返って次回の反省点を洗い出した彼は、次に備えて女性隊員向けの下着も用意しておくべきだろうかと腕組みをして検討するも答えが出ず、夜明け間際に最低限の睡眠をとって学校に出席した。
 電車内で再会した彼女は常と変わった気配もなく、校内でポカをやらかす彼をハリセンその他でしばき倒す鬼の生徒会副会長兼学級委員であって、相良宗介は何か取りこぼしたような落ち着いたような気分になった。
 数日後メリダ島に呼び戻された彼に対しても「もう、また?」以外特にコメントもなく、身の回りに気をつけ外出は避けるよう言い置くのも、到着後に妙にニヤニヤしたクルツとマオが顔を見せるのもいつものことで。
「カナメとの仲、少しは進展したの?」
「仲?」
「ま、朴念仁のお前がカナメちゃんとどうかなるなんてこたー、天地がひっくり返ってもそうそうねーよな?」
「まあそう言いなさんなよ、社交辞令なんだしこっちも。で、どーなの」
 常ならば回りくどく解りにくい愚痴が漏れることの多いサガラ軍曹は、珍しくどこか得意げに返答した。
「信頼関係の醸成について、という意味でなら多少はな」
「あ、仲良くやってんだ、よかったじゃーん」
「あーつまんね。何、クラスの子とどっか遊びに行ったのか?」
「いや、そうではない」
 一瞬考えたのち、この二人は「学校のみんな」には相当しないとして、学生傭兵は事実のみ簡潔にまとめて時系列順に説明してやる。
「…で、その下着はどうなったんだ?」
「弁当を数日作ってもらった」
「タオルは?」
「タオルは次の日に洗濯して返却してくれた」
「んで、下着は」
「下着ぶんは相応分の食糧での代替でかまわないかとの話だったので、了承した。ただし生徒会室で食事をすることが条件だったが、どちらの条件にも支障は特になかったぞ」
「そんだけ?」
「ああ。何か不明な点があるのか?」
 宗介は当初「どうだすごいだろう」とばかりに胸を張っていたが、一部始終を聞いていたお兄さんお姉さんたちがあまりにも長いこと頭を抱え込んだり椅子の背にもたれかかって魂の抜けたがごとき仕草のままでいるので、だんだん拙いことを言ってしまった気がしてきた。
 学校の皆には確かに言っていない、のだが、この事を彼女が知ったら、ひょっとしてとてつもなく厄介なことになりはしまいか。
 脂汗をだらだら流す朴念仁を前に脱力の体を立て直すこともなく、クルツとマオはげんなりとぼやく。
「そこ、そのまま帰すかー…」
「いや、もう何てーか…もったいないことしたなあ、お前」
「もったいない?何がだ?」
「まあ嬉し恥ずかしハイスクールライフってやつ?」
「ハイスクールつうより小学校レベルじゃね?いやもっと前か」
「幼稚園からやり直せってか」
「つーか本気で幼稚園児どうしなら、ぱんつ洗ってそのまんま返すだろうけどなー?」
「あー、そっか…あんたがんばりなさいよマジで。いやもうほんとに」
 彼の人生には本来あり得なかった季節を過ごしていることを素直に祝福すべきか、年齢にそぐわぬキヨラカさを嘆くべきか呻く年長者を前に、何が失態だったかを検討するも検討すべき方向が見いだせず、少年傭兵は肩を落として深くため息をついた。


ふり向いて、ちゃんと見てみなさい!

 チョコレートより、甘いもの



 持ち上げたゴムべらからとろけ落ちる、ボウルの中のチョコレート。
 その香りがキッチンいっぱいに広がっている。隠しようもない、華やかでうっとりするような、甘い甘い匂い。
 計量してふるった粉類、大小のボウル、レシピのメモ、予熱中のオーブン、etc。
 とろとろのツヤを確認してからボウルをいったん置いて、空いた器をシンクに片づけて、とやってるエプロン姿のかなめの後ろで、宗介が金魚のフンか後追いの赤ん坊みたいにぺったりひっついて、その様子を覗っていた。
 作業しながらかなめは面倒くさそうに、水を向けた。
「あのさ、テレビでも見てれば?」
「いや、気にするな。続けてくれ」
「まったく…」
「これはまだ使わないのか?」
「メレンゲは最後。先に入れると泡つぶれちゃうから。そこ邪魔」
 ちっち、と指先で追うと一応は黙って退くものの、やはりかなめがボウルの中身をかき混ぜる様子を、宗介は子供のような熱心さで観察していた。
 正直邪魔くさい、とかなめは思う。
 買い物でも言いつけて追い出そうかと思ったが、外はあいにくの空模様で気が引けた。
 そんなにケーキが待ち遠しいんだろうか。でも夕食に宗介の好きなものを作ってる時でも、ここまで熱心に観察されることはないのだ。
 先日、宗介が「バレンタインとはなんだ」とかなめに聞いた。
 世間に疎いなりに、世間がバレンタイン商戦一色に沸いているのは、気になったらしい。見聞きした分で『女性が男性にチョコレートを贈る日』だと推測し、その確認をかなめに取ったのだった。
 そうよ、とかなめは肯定した。そうしたら宗介がえらく期待している様子なので、あんたにもチョコケーキかなんか作ってあげるわよ、と約束してあげたら、宗介は目をきらきらさせて、見えない尻尾をばたばた振ったのだった。
 そして今日はバレンタイン当日。
 事前に時間が取れずにチョコケーキは当日作ることになってしまったけれど、宗介はそういうものだと思って気にしていないようだった。
 気にしないどころか贈り物の製造過程をがっつり見学している。作業中のかなめの腕や材料などを触ったり構ったり、などの具体的な邪魔をされるわけじゃないのだけど、彼の期待のまなざしを浴びながら作業するのは、かなめとしてはやりづらい。実際、粉類を混ぜる繊細な作業中の背後にぺったり貼りつかれていると、ものすごく気が散る、気がするのだった。
「あのさ。やっぱリビング行っててくれない?」
「いや…手伝おうか」
「あんたが手伝ったら意味ないでしょうが」
「…そうだな。すまなかった」
 ぽりぽり鼻の頭を掻いたりして、宗介はなぜか照れたふうに顔を伏せた。
「なによ」
「いや、邪魔した。作業を続けてくれ」
 思いのほかあっさりと、宗介はかなめの後ろから一歩引いた。
 すごく喜んでくれてるみたいでそれは嬉しいのだけど、今更なのも分かってるけど、かなめはちょっとだけ不満だった。 

 ――チョコレートに思いを込めて。
 未だ寒い冬の只中だというのに、日本中が何処かしら浮足立つ季節。テレビCМでエプロンをつけたアイドル達が甘ったるい笑顔で囁いて、街の中も、パネルだったりポスターだったり、雑誌もお店の中も、女の子の意識も、チョコレートと華やかなリボンで溢れかえる。
 その2月に入ったある日、一人チョコ菓子の特集が組まれた雑誌をめくりながら、かなめはどうしようかな、と考えていた。
 あいつは、あたしの恋人で。チョコが嫌いじゃなくて、14日が用事が埋まっているわけでもないなら、バレンタインを無視する理由はないのよね、と。
 決してどうでもいいわけじゃないし、こういうイベントを毛嫌いする境遇にあるわけでもない。浮かれた感じも、嫌いじゃない。
 ただかなめの今までの人生、好きな異性にチョコレートをあげる機会が一回もなかった。
 小学生の頃、お父さんにあげたのはノーカウント。しかもお父さんは甘いものが苦手で、あげても即娘たちにリターンで面白くなかった。
 中学生になってはじめて好きになった先輩には、勇気がなくてあげられなかった。
 高校に入ってからは、女友達同士でチョコの交換なんてしたけれど、男子とはしていない。高2の春に宗介に出逢って、よく考えたら宗介と出会って以来今年が初めての、まともに迎えるバレンタインデーだった。
 クリスチャンでなくても(ないからこそ)クリスマスにケーキは食べたいし、ムーディな雰囲気でデートできればそりゃ嬉しい。けど相手はあいつだから、ムーディは無理だろうと諦めている。美味しいケーキ作って一緒に食べられたら、それはそれで楽しいからいいや。かなめのバレンタインのイメージは、それと変わらないノリだ。
 まあ、宗介にチョコレートをあげない理由はないのだ。相変わらず世間の一般常識に疎いところはあって、バレンタインも教えなければ知らないままのようだけど、一応、恋人同士だし。今はケンカもしてないし。彼は甘いものも好きだし、大きなチョコレートケーキを作ってやれば、喜んで食べてくれるだろう。
 宗介とは毎日顔を突き合わせていても、仲良くしてても、最近ちょっぴりマンネリ気味だった。宗介には当日まで内緒にしといて、びっくりさせてやっても良いかもしれない――そう思って、柄にもなくうきうきしていたのだ。
 宗介の方からその話題を向けられたのは予定外だったけど、それは別にいいのだ。
 なんでもあのエロ外人のクルツから、日本のバレンタインのなんたるものかを聞いたそうで、それもまあ構わない。宗介は未だ明らかな冗談を本気にする傾向はあるものの、あの彼の言うことは、簡単には信用しない。懸命だとかなめも思う。うら若き少女であるところのかなめにとっては、宗介の戦友だろうが美人の奥さんをゲットしてようが射撃の天才だろうがなんだろうが、クルツ=エロ外人の認識なのだった。しかし今回宗介がかなめに確認を取った、クルツのバレンタイン見解は、宗介をからかうとか不真面目だとかバッカじゃないの的なニュアンスはない、いたってまともなそれだった。まともすぎて拍子抜けしたほどだ。
 だから、その時は最初気付かなかった。
 プレゼントの制作過程を後ろから観察されていた現在、なんだかなあ、とかなめは思う。内緒にして驚かせてやろう、なんて言うちょっとしたお茶目とか情緒は、相変わらず分かんないのか、朴念仁め。俺も手伝うとか、いまいちわかってないんじゃないのか。
 宗介が悪いんじゃないけど。これだけ溶けたチョコレートの香りが濃いと、多分しばらく部屋の匂い取れなさそうだし、内緒で作っても宗介には絶対ばれてたに違いないけど。今更別にいいけど。
 今更じゃないのは、ボウルの中のふわふわのメレンゲが混ざったチョコレート生地。
 綺麗に混ざったのをまたゴムべらからふんわりとろけ落ちる様子で確認し、ふう、とかなめはため息をついた。
 お茶目とか、情緒とか、不満とか、そんなのはこの甘い香りみたいなものだ。キッチンに濃密に漂っていても、甘い味がそこにあるわけじゃない。
 ホントに甘いのは、ここでとろとろのツヤツヤになってるのだ。
 
 混ぜ終えたケーキの生地を円型に流し、とんとんと台に打ち付けて空気を抜く。
 予熱を終えたオーブンに入れて、タイマーを合わせた。
 やれやれと呟きながら、かなめが調理台をいったん拭いて、汚れたボウルをシンクに運んでいると、キッチンの隅にひょいと宗介が顔を出した。
「できたのか?」
「後30分。気になるなら、見てれば」
 かなめの指さす先のオーブンの窓を子供みたいに宗介は覗き、赤い熱源の色に目を細め、けれどあっさりそこを離れた。
 洗い物をするかなめの後ろににじり寄り、そして腕を伸ばして、きゅっとかなめを抱きしめた。ポニーテール気味に結わえた黒髪が宗介の目の前でさらりと揺れた。
「…、ちょっと」
「なんだ」
 洗い物したいんだけど、とかなめは肩を捻ってみるも、宗介の腕は外れない。明らかに洗い物の邪魔をしているのに、宗介は悪びれもせず長い黒髪に鼻先を擦りつけた。
 さっきは邪魔なりに邪魔しなかったのに、具体的に邪魔されて、髪を伝うくすぐったさにかなめは首筋をよじった。
「あ――あんた、ケーキが気になるんじゃないの?」
「それはそうだが」
「まだやることあるんだから、どいて」
 洗剤の泡の付いた手を避けて肘で肩を押しやられ、宗介は仕方なさそうに腕を緩ませる。
「俺も何か手伝うが」
「だから、あんたが手伝ったら意味ないでしょ?」
 ボウルと泡立て器を洗ったら、今度はクリームを作らねばならない。
 宗介が腕を下ろしたのを見届けてからかなめはまた流しに向き直り、洗い物を再開した。宗介はその後ろで、まだ調理台に放置されている材料の器などを手に取りつつ、質問した。
「これは余ったのか」
「それはまだ使う奴」
 泡立て器の細いワイヤの間をスポンジでこすりながら、かなめは声だけでチョコレート入りの器を牽制し、生クリームもよ、と追加した。
「それでチョコクリーム作って、ケーキに塗るの。つまみ食い禁止」
 ケーキが焼けたら、冷まして3段スライスして、オーソドックスにこってりたっぷりクリーム塗って、ココアパウダーを振りかける予定だった。
 作業しながらのかなめの口頭説明を受け、宗介はその材料らを一瞥し、ふむと唸った。
「つまり、まだかかるのか」
「そうね。ケーキ冷めてからだし、後1時間ぐらいじゃないの」
「…………」
 また、ふむと頷いて、宗介は口を閉じた。
 堪え性のない子供ではないのだから、不機嫌になったりはしない。美味しいものを作るには時間がかかる、と素直に納得した顔で、チョコレートの器を台の上に戻した。
 ただその代わりに、まだ洗い物を続けている、エプロンをつけたかなめの後ろ姿に、また懲りずに抱きついた。
「ちょっ…」
 かなめに抱きついたまま、宗介は片腕を伸ばして湯を止め、彼を押しやろうとするかなめの肩と肘を捕らえ、シンクに向かう身体をくるりとひっくり返してしまう。
「――ちょっと、ソースケ、」
「なんだ?」
「放して。まだ洗い物」
「今は空き時間なのだろう?」
「終わってないってば!」
 まだ泡だらけのボウルやらゴムべらやらが残るシンクに視線をやりながら抗議するも、宗介は構わずかなめの細い背中に腕を回す。
「それなら俺が後で手伝うぞ」
「だから、」
「片づけなら問題あるまい」
 宗介は正面から言い切った。
「…………、」
 かなめがまだ濡れた両手に遠慮しているのを知ってか知らずか、宗介は遠慮なくじゃれついてくる。
 彼の身体を押しのけも引き寄せもできずに、かなめは身体の脇に両手を浮かせ、かなめはせめてもの抵抗とばかりに彼を上目に睨みつけた。
 けれど宗介は怯むわけもなくかなめの視線を受け止めて、いつものむっつり顔から滲み出る上機嫌を隠そうともせずに見つめ返すから、かなめはなんだか落ち着かない。
 事実、ケーキが焼けて冷めるまでは空き時間だし(焼け具合を見張ったり、焼けてからも何かと気を使うことは多いのだけど)、けれどこんな風に感情をストレートに伝えられるのは、未だに慣れなくて、ちょっと悔しい。
 ケーキの焼ける匂いが漂う甘ったるい空気の中で、かなめはせめてシンクの方に視線をそらして、
「……あたしをせっ突いたって、早く出来るわけじゃないのよ」
「そうだな」
 浮かれ具合の分かる相槌を打ちつつ、宗介はかなめの頭を引き寄せて、ぎゅっ、と抱きしめた。
「千鳥」
「なによ」
「……いや。後に取っておくべきだな」
「あと?」
「いや。ケーキはまだ焼けないのか」
「…まだだってば」
 話をそらされたような引っかかりを感じて、かなめは顔を上げた。
 今じゃなく後ってことは、まだ焼けてもいないケーキのことではなくて、宗介は記念日のケーキを心待ちにする子供みたいに、単純にバレンタインのチョコレートが楽しみなだけじゃなくて――
「…そんなに、楽しみなの」
「ああ」
 ――行事としてのバレンタインを楽しみにしてる、と言うことだ。あの、クルツの言う。
 宗介の声が締まりない。今キスしたら、とろけたチョコレートの味がするかもしれない。
 かなめはまたため息をついて、横を向いた。
「なんで、よりによって変なこと聞いてくるかなあ…」
「変か」
「変じゃないけど…ヘン」
「意味が分からんぞ」
「もう、放してよ」
 なんだか恥ずかしくなって、かなめはもぞもぞ小声で抗議する。乾きかけた両手で宗介の胸を押しやると、宗介は、む、と口を引き結んだ。
「千鳥?」
「まだ洗い物…」
「手伝うと言ったぞ」
 ケーキが焼けるまでにはまだ数分あった。それ以上言い訳できず、かなめは宗介の外れない腕の中で、うう、と往生際悪く唸った。
 宗介は変なことを期待してる訳じゃない。色々と分かり切っていることを省いたふたりだけの会話の中で、かなめだけがもじもじと煮え切らないだけだった。
 キリスト教系の逸話が元になった、欧米諸国で広まっているらしいこのバレンタインと言う行事は、しかし日本では勝手が違う、と聞きつけた宗介は、今日と言う日を前に、その辺りに詳しいだろうクルツにも説明を求めていたのだった。
 その彼が日本で学生やっていた頃の常識としては、曰く、バレンタインに置いて、チョコレートは菓子屋の陰謀、販促目的でくっつけられたオマケで、メインとなるのは『女性が男性に愛を告白すること』なのだとか。しかし、
 ――普段告る勇気なくてもこう言うきっかけがあれば、って目論見は可愛いかもしれねーけどさー、好きでもねー女にチョコ貰っても告られてもウザいだけだったし、そんなのがわらわら寄ってくるし、いらねーよっても逆切れされるし、チョコ貰えなかった野郎は哀れっぽかったし、アレは本気でクソ面倒な日だったなー…
 と、金髪碧眼の色男は、私情を込めて当時を説明したのだった。最後の方は遠い目をしていた。
 幸いにして現在モテる男の苦悩など知ったことではない宗介は、意中の女性からであれば特に問題はない、と言った意味をその説明から抽出したのだった。
 そういうことを、事実か、とかなめに聞いたあの日、宗介はかなめの耳元で確認を取ったのだ。
 ――君もしてくれるのだろう?
 と。
 かなめはきょとんとして、それからじわじわじわと耳を赤くし、ようやく、といった調子で気付いて絶句していた。
 宗介は辛抱強く是か非かを問うた。かなめは明らかに挙動不審だったが、否定はせず、本当に真っ赤な顔で頷いた。
 そんなことがあった。
 だから今、宗介が、む、と唸った。
「…ひょっとして、君は嫌なのか」
「ヤじゃないわよ。でも…なんか、今更ってか…」
 何を今更、と言いたいのは宗介の方だった。未だにこの腕の中の彼女は、よく分からないことで意地を張る。
 キッチンなどでこうして抱き合って、じゃれあったりしている仲だというのに。
 なにもまた人前でアレコレやれだのと、非常識な注文はつけていないのだ。宗介の中でも、多方面で確かめたところでも、ふたりきりでするに限っては常識的な行為だった。宗介自身もわりと頻繁にする。
「しかし、君は了承したぞ」
「し、したわよ」
「君は俺が嫌いなのか?」
「んなわけないでしょ?だから、…こういうのは、なんつーのか…」
「……なんだ」
「…だって、改まって言うことでもないし……」
「俺はいつでも構わないのだが」
「……だって……」
「………」
「…………こういうのは、その、勢いがないと」
「…………」
 何を今更。
 宗介の理解は過不足の無い、どストレートに正解なのだ。
 宗介はまたか、とため息をついた。かなめにとってかなり失礼だったが、不機嫌そうなそれではなかった。
「君に限らず、女性はあまり素直ではないものらしいな」
「な、なにそれ」
「マオが絶対に言わない、と奴に愚痴られたことがあるのだ。しかしこの日があるなら、まあ問題あるまい」
「……な…」
 そうクルツに惚気られたのは1年前のことだ。宗介は当時自分のひもじい境遇からまず殺意を覚え、言下に相手にしなかったのだが、現在の満ち足りた境遇にあって、ようやく彼の言わんとすることを理解したのだった。
 こうして腕に抱きとめていても、いつも一緒にいても、機嫌が良くても悪くても、気持ちの正体を知っていたとしても、これは大事なことなのだ。けれどかなめはどう思っているか分からない。このことを下手に空気を読まずに促すと、臍を曲げて貝のように口を閉じる、彼の恋人は変わらずの意地っ張りなのだった。
 無理に言わせてもしょうがない。けれど言ってくれれば嬉しい。
 だから、つまり宗介は、かなめがこのバレンタインと言う素晴らしい儀式にのっとってくれるのだと期待している。
 かなめとしては油断していた、と言うよりは、そのことについては宗介が言いだすまで、なぜか全く考えていなかった。
 ――チョコレートに思いを込めて。
 そのフレーズを耳タコくらいに聞いていても、その意味はどういうわけかスルーだった。
 バレンタインのチョコレートは、どうぞで渡してありがとうで受け取るもの。すでに付き合ってるんだし、チョコケーキ用意してふたりで食べあって終わり、だと漠然と考えていたのだった。巷でこの日の大切さ、ロマンが騒がれていても、かなめの中の実際的なロマンチックに結びついていない――その意味では、かなめは宗介よりも鈍感だった。
 だってバレンタインチョコは女友達とお父さんくらいにしかあげたことないし、男の子はあんたにあげるのが初めてだし、などと今焼いているチョコケーキのレア度を訴えたところで、やはりバレンタインチョコを貰うのはかなめが初めての宗介には通じない。世間的にも常識的にも正当で至極まっとうなこのイベントを知り、ただわくわくと胸を膨らませているだけで、全く持って彼の期待に非はないのだ。
 別にヤなわけじゃなくて、でもそんな分かり切ったことわざわざ言うことでもないし、だから最近そういうの言ってあげてなかった。最近マンネリだとか、宗介もそう思っていたのかもしれない、とかなめは思った。
 …思ったけど、でも、こんな風に見つめられたら、言えるものも言えやしないじゃないの。
 かなめは唇を開きかけて、咬んで、やっぱり開けずにこつん、と宗介の肩におでこを預けた。
 焦れて、宗介はまたかなめの耳元で聞く。
「…そんなに、いやか」
 かなめは首を横に振った。
「勢いづけたいなら、俺も手伝うぞ」
「手伝うって――待って! もう、約束でしょ?!」
 ほとんど逆切れの勢いでかなめは叫び、湯気を吹かんばかりの顔を上げた。
 宗介はぱっと目元を綻ばせる。その目があって、また息を飲んで、
「…………」
「千鳥?」
「………う…」
 彼女が声を詰まらせる理由を全部知っているくせに、目の前の彼はただ期待に満ち満ちた態度で。
 その期待は、それ以外の打算などなくて、本当にそれだけの気持ちで、かなめはもう恥ずかしいのか嬉しいのか自分でもよくわからない。
「…………」
 また彼の肩に隠すように、もじもじと赤い頬をこすりつける。
「…ケーキできるまで、待って」
「了解」
 宗介は、満足そうにうなずいた。



 白い皿。レースペーパー。
 ふたりで食べてちょっと多いくらいだけれど、可愛いチョコレートケーキ。クリームで丁寧にデコレーション。
 甘い香りをふたりきりの部屋にふりまいて。 
 ケーキを挟んだ宗介は、それが欲しくて待っている。
 かなめは観念した。
 別に、イヤじゃないの。いつだって言うのが恥ずかしくてくすぐったくて、延び延びになってタイミングが計れなかった、それだけなの。
 バカみたいな理由に漏れる苦笑すら、甘い、気がする。
「…ソースケ」
「ああ」
「好きよ」
 なによりも、甘い言葉の告白。
 この日はそのための。
「俺もだ。愛してる」
 宗介が、嬉しそうに、甘く目を細めた。

end.



コメント:「glass mosaic」さまのにれの木立さまからいただきましたー!
     甘さにやられっぱなしであります…さすが公開告白・公開ちゅーのカップル…ッ!
     じまんするさ!ああじまんするとも(帰れ)!&皆さまご一緒に萌え萌えしませんか精神でご許可をいただきアップさせていただきました!
     にれの木立さま、素敵な作品を本当にありがとうございます!

「…あんた今日来れないって言ってなかったっけ?」
 軽く唇を尖らせた千鳥かなめは、まあいいわ、と腰に手を当てるとふんぞり返って、少し高い位置にある現役傭兵兼護衛、兼手のかかる同級生の顔を見た。
 目の下にうっすらクマのある相良宗介が、何の指示もなしにふさわしいドレスコードに添うことなど期待できない。ゆえに千鳥かなめは不作法を承知で、相変わらずむっつりと無愛想な相良宗介の眼前に、人差し指をびしりとばかりに突きつけた。
「今日の用事は知ってるわよね?とりあえずタオル二枚、それからこないだ海に着ていった水着と半ズボンとビーチサンダルとTシャツ持ってきて。今は着てこなくていいから」
 無表情ながらも理解不能といったふうの彼の尻を蹴り上げる勢いで、かなめは「早く!」と叫ぶ。彼の出発前から決まっていた予定とはいえ「正式な」登校日ではないし、早起きの番犬はハナからいないものと思いこんでいたから列車の時刻がギリギリだ。
 乗りそこねたところで十五分もたたないうちに次は来るけれど、明け方に帰ってきたという彼が、自分と共に登校するつもりでいるらしいことに気が急いた。
 いちおう、出席は付かない、って言ってあったよね。
 自分の護衛と言っても彼は既にいざというときの「保険」であって「本業」の用が入れば、なるべく外出するなだの不審者に気をつけろだの言うだけで、…結局、そちらを休んで以前のようにべったりと側にいることはない。本業のために休養が必要となればそれも仕事のうちに入るだろうから、単位に関係のない登校は、彼自身の意志による、と言えないこともない。
 ひそかに懸念していたように包帯を巻いた箇所も見当たらず、湿布の匂いもしないから、お疲れ気味とはいえ無傷の健康体、と見なしてもいいだろう。
 ま、まあ、あいつが来ると思って用意したわけじゃないんだし!……その手の感想は、期待するだけムダ、だったし。
 肩にかけた大きめのトートバッグの中身を頭の中でチェックしたかなめは、持ち手をつかんだ手に力をこめる。皆で海に行った時のドタバタの中に、彼の自分に対する感想、特に見た目…は「水に濡れても大丈夫」という機能的なこと以外は、入っていなかった。
 真面目な夏期講習など親と同居でも行かない身だ、単発のバイトと学園祭の準備以外に特にはっきりした予定のない夏休み、それでも高二の夏休みは人生に一回こっきりで。…「留年したら何度でも味わえる」とは意外にツッコミの厳しい常磐恭子の弁だが、そんなのは邪道である(はじめから「十六歳の」とか「十七歳の」と言えばよかったとは自分でも思った)。
 ちょっとばかり特殊な経緯で知り合って、特殊なところも少しとは言え知っている休みがちなクラスメートは、生真面目をとおりこしていっそクソ真面目な表情で、学生カバンとは別にくすんだようなオリーブグリーンの重そうなバッグを肩から下げ、きびきびと走ってくる。
 スポーツ選手にしては軽さが足りない、女の子とお出かけ~って感じじゃもっとない。遅刻しそうっていうノリ…だと、あいつもっと違う気がする。青くなってそうだし、せかせかするより気が重くなるタイプっていうか。
 今は、と見やるとむっつりとした顔にはこれといって目立つ違いもない「いつも通り」、機嫌はよくも悪くも無さそうだ。
 ま、いっか。…知らなきゃただの雑用だし、まだ教えてないし。教えたらまた危険だの罠だの爆弾だの言い出してジャマしそうだから、ないしょにしとく方がいいのかも。
 軍およびその関係者とは無縁の人生を送ってきた女子高生は、学級委員にして生徒会副会長の風格でもって彼が隣に並ぶと同時に腕組みをしたまま「よし」と軽くうなずいて見せると、駅へ向かって歩き出した。

 陣代高校の用務員である大貫善治氏からは、以前より「親戚の法事のため夏休み中に休暇をとって帰省する予定である、よっていくつかの用事を生徒会に代行して欲しい」という旨の通達があった。
 そのことは安全保障問題担当・生徒会長補佐官である相良宗介の耳にも入っていたから、陣代高校敷地内の草木に水やりをすることについては彼も異存はない。
 それにしてもあの人物、実は旧日本軍の生物兵器であったりはしないのか。彼であれば、一瞬で出先から帰還して陣代高校を撃沈する勢いで散水を行いながら目的地へと飛び去ることも可能のように思えるのだが。もしやこれは何かの陰謀だろうか。
 男子更衣室にてひとり大きなため息をついた宗介は、ひりひり痛むあごを撫でながら「あんたもさっさと着替えてきなさい!」と言い捨てて去ったかなめの後ろ姿を思い浮かべる。
 この機会に増設を、といくらか持参してきた対人地雷やセンサー及びそれに連動するマーキング装置、レーザーガンの類は鞄から取り出すそばから取り上げられてしまい、ハリセンによる殴打だの蹴りだのをしこたま浴びせられたのも、それが遺憾であるのも相変わらずだ。
 彼女がそれらを必要である、と専門家である自分のように「正しく」認識していないことに苛立たないわけではない。けれど、それが彼女なのだということに、あきらめに似た、だが無力感とはちがう奇妙な何かも確かに感じる。
 彼女の行き先は水泳用に使用されているプール脇の女子更衣室だ。同行を申し出るとアッパーで殴られたが、その威力から推し量るに彼女は自分が仕事で出立した時点より息災であるようだった。
 宗介は再びため息をつき、着替えだけ詰めているには大きすぎ重すぎる鞄の中から衣類を取り出した。
 陣代高校内ででも自分の普段にしてもあまり着用する機会のない私服は、先日学友とともに海に行くことになった際、千鳥かなめがふさわしいとして購入を勧めてくれたものである。
 買い出しの際の彼女はおおむね上機嫌で、珍しく別れ際までそれは続いた。その後ひどく機嫌を損ねてしまうことも何度かあったけれど、今日はまだ「大嫌い」とも「帰れ」とも「とっとと仕事に戻れば?」とも言われていない。
 久しぶりに見る制服姿の彼女はとても健康的で明るくて、敵に囲まれて逃げ込んだ暗く寒い洞窟を抜けてのちようやく顔を上げることが叶う状況で拝めた朝日によく似ていた。
 千鳥かなめと顔を合わせるだけで「暗い」と必ず言われてしまう自分の印象までもが、明るく照らされるように感じる。
 自分の見慣れた集団からすると儚すぎるほどほっそりした体の彼女の、一体どこからあれだけのパワーがあふれてくるのだろう。
 一般人である以上、自分たちのように鍛えてもいないぶん相応に疲れもするようだが、ときどき彼女の力は無限なのではないかという気分になる。  
 それは常に己の余力の残量をはかりながら戦わねばならない身からすると、とても安心なことで、彼女が味方であるということで何か自分まで底上げされたように思えてくる。
 そしてそういった士気が本当に奇跡を起こすということも、彼女の傍らで幾度か学んだ。
 ただの楽観ではない、と無責任な精神論を軽視していた自分にでさえそう思えるほどの何かが彼女にはある。それは自分の部隊の他のメンバーも認めている。
 コードネームの通りの「天使」だとはばかることなく言う者も艦の中には何人もいて、千鳥かなめ当人は知らないことだし知らせる必要もないことだと思っていたが、艦長であるテスタロッサ大佐の見解は自分とは異なるようだ、とメリッサ・マオ曹長とクルツ・ウェーバーが意図の読めない不穏な笑顔で言っていたのを思い出す。 
 それを聞いたとたん、何故かわき起こったむかむかするような不安に追随するように、数週間前、敵地である貨物船の中で自分を敵と間違えたらしく工具で攻撃を加えたあと、まっすぐ自分の胸に向かって飛び込んできた彼女の感触が再生されて、着替えを取り出す手の動きが鈍くなった。
 怖かった、と言っていたから味方にすがりつきたくなったのだと思う。それでも、咄嗟に自分を味方と思ってくれるだけの信頼は得ていると感じて安堵した。
 上官であるテレサ・テスタロッサ大佐と千鳥かなめを人質に取られた折り、彼女を先に敵に解放させなかったことで、彼女の信用はもう得られなくなってしまったかもしれない、と想定していたからだ。
 テスタロッサ大佐の運動神経が一般的な軍人とまで行かずとも、人並みであったなら自分は民間人である千鳥かなめの解放を優先しただろう。
 だが実際には、テスタロッサ大佐は身体能力においてはその希有で非凡な能力と引き替えにしたかのごとく、何もないところでも簡単に転倒するような人物で、逆に千鳥かなめはといえば、手練れの軍人に瞬発力で勝ることさえあるという、凄まじい運動能力の持ち主だった。
 ゆえに自分はあの時ミスリル所属の傭兵というよりはおそらく自分自身の判断で、その方が全員生き残れると踏んだ。
 結果として、それは間違いではなかった。
 けれど同時に、千鳥かなめに己の意図とは全く異なった解釈をされ、その上で自分から距離を置こうとするのではないかという危惧が発生したのも事実である。
 一般人を後回しにして、所属する組織の上官を先に解放するような「護衛」を信頼し続けることなどできるだろうか?
 自分ならば、否、である。自分でなくともそうだろう。
 だが自分は、それをやってしまった。状況がどうあれ、各々の立場をかんがみれば埒外もいいところだ。
 ならば未だに自分が彼女に信用されないのも当たり前の話だろう、と思いつつも宗介は体中にのしかかる重力に耐える。
 自分にとって彼女は、味方だ。紛うことなく、そう感じる。
 確かに利害は一致するが、自分たちのように報酬も出ずその任にもついていないのに、自分や仲間を何度も助けてくれている。
 ここ一番のいざというときに、なぜか仲間である軍人ではなく一般人の彼女を頼ってしまったことが既に数度、よく考えても自力で切り抜けるには確かに難しい事例ではあった。
 それでも、今までは彼女無しで生き抜いてきたというのに。
 技官であり艦長であるテレサ・テスタロッサ大佐も、軍人になって間がない上に資質的には彼女に劣る肉体的素養の持ち主ではあるけれど、それでも実戦経験もそれに近い訓練にも耐えて、猛者どもを抑え従わせる現役の艦長だ。
 つまり自分が頼りにするべきは上官のテスタロッサ大佐であって、護衛対象のかなめではない。
 にもかかわらず素人で一般人の彼女は、その特殊能力を発現させて全員を助けることにためらうことがない。
 ミスリルという組織の慢性的な人手不足もあって、被保護対象の彼女にも出来ることは頼らざるを得ないのが自分たちの現状だとはいえ、それはとても特異な事例だ。
 彼女にその自覚は無く、―どうしたことか、自分も彼女にそういったことを説明するのに、心理的な抵抗を覚えていることもあってか、彼女は自分がどれほど関わった人間に一目置かれているのかを、全くといって良いほど知らない。
 その彼女が、ほんの一瞬とはいえ自分の腕の中で、何のわだかまりもなく自分のことを心配していたと言った。
 敵地の中で油断するわけにはいかず彼女にだけ集中していられなかったので、敵を倒してから少しでも落ち着ける状況で続けて欲しいと思っていたが、彼女にとっても「そういう場合じゃなかった」らしい。
 記憶の中で思い出せる限りの情報を再現しても僅かな時間で、気丈な彼女が無条件に自分を頼るなどという出来事はそう起こらないということも、おぼろげながら理解している。
 つまり、こういった安全な状況であの続きを望んでも、きっとその機会は得られないということだ。
 宗介は重くなりかけた動きを律するために、何か解決策につながる情報は無いかと脳内を検索した。
 …一応、先日皆と言った海で彼女を救出に行った際、彼女と至近距離で対話する機会を得はした。
 こともあろうに夫でもない不特定多数の男どもの視線の中、下着姿よりもあらわに肌をさらした彼女の感覚は一体どうなっているのだろうと困惑し、今でも思い出すと腹の底で何か煮えるような胸の悪くなる思いもしたが、…どのみち自分がもっとも彼女の側にいたのだから、彼女の身の危険は解消できた。あの時に限りではあるにせよ、それは今後の課題として当面は「解決済み」扱いでいいだろう。
 ただ、あの折りから、何とはなしに気になることがある。それは以前彼女の制服姿を間近で見たおりから、うっすら思ってはいたことではあったけれど。
 金髪で阿呆かつ品性下劣な同僚が、やたらと自分に教えたがる日本語の中には耳慣れないものが多く、どうも日常的に使用するにおいて危険を感じるので主にカリーニン少佐に教わったものにかなめや恭子をはじめとするクラスメートから学んだ語彙を交えて会話しているが、かといって記憶から消去されているわけではないし参考知識として脳内には保管されてもいるそれらの単語のうちのいくつかに、どうもこれが当てはまるのではないか、という事例が徐々に増えてきているのである。
 同志でもあり戦友でもあるクラスメート、陣代高校におけるひとかどの人物にして罪も汚れもない己の護衛対象に、よりによって「あの」クルツ・ウェーバーの語る異性に対する形容が合致するとなれば、ゆゆしき問題だといえる。
 例えるなら柔肌、であるとか、柳腰であるとか。
 巨乳だの美乳だのはクラスメートも使うが、あまり衆目を浴びる場所で使うには穏当ではないようだ。柳眉は漢文の授業にも出たので問題はないだろう。才色兼備や眉目秀麗も同じくだ。小股の切れ上がった、は意味が掴めないので使用しない方が安全かと思われる。
 だがクルツの奴の価値観での高評価ということは、彼女にとってあまり名誉なことではないのではないか。むしろ不名誉と言えるだろうそれら語彙が、遺憾なことに周知の事実らしい、というのが、どうにも落ち着かない気分になる。いっそ不快である、と言い切ってもいい。
 健康で栄養が行き渡っているなら、女性の体はその特徴を大きく示すだろうし、髪も肌も内臓の健康状態を示す以上は「理想的な健康体」という言葉で集約出来る。それ以外の形容は過剰というか、必要以上に何らかの方向性を示すように思えてならない。
 凪いだ海上をゆるやかに落下しながら、危険の無いようにと抱えていた腰の細さも密着した肌の薄さもやわさも、彼女の特徴として記憶済みだ。
 少し笑いを含んで拗ねた風を装おうかなめの穏やかな声が、身動きの取れない体勢でのど元をくすぐるようにころころと響いて、ふとこんなふうに海の見えるところで二人きりで落ち着いて話が出来たら、せめて何か気の抜けることでもしながら、ふだん世話になっていることの礼を言えたならと思った。
 思い当たる場所はある。思いつく限り安全で自分しか知らない、しかも海に近い場所。
 一般人の彼女をそのまま誘うのは難と言えば難だが、上手くすれば、大佐殿の示した「日を改めて彼女と話をするつもり」だという計画に乗って実行できる可能性は、ある。
 表情を引きしめてグレーの無地のTシャツを頭からかぶった宗介は、脱いだ着替えを鞄に詰めた。
 気分が落ち着かないのは装備が少ないせいだろう。
 かなめが海に行く前に水着と一緒に選んでくれた私服は、普段自分の着ているものとさして変わらない見た目のようだが、軍服より明らかに頑丈さに欠ける。カーキ色のハーフパンツも、身体の保護を思えば丈の長い方が望ましい。ビーチサンダルなど素材も足をおおう部位の少なさも、頼りないの一言だ。 
 何より下着の代わりに水着を着てこいというのがわからない。用件の内容からして水濡れ必須ゆえの装備なのだろうが、ならば着替えで事足りるはず、と宗介は首を傾げた。
 待ち合わせは校庭に近い花壇や植え込みの前で、かなめからは近くの水道からスタートして水を必要な場所に撒きながら校内を回る、との説明をされている。
 林水敦信に次ぐ地位の生徒会副会長だけあって、千鳥かなめの説明は的確かつわかりやすい。その目的だけに特化した計画であるなら、もっとも効率的なコースを取っていると宗介にも見えた。
 これでもう少し安全面に配慮した思考をしていれば大したものだろうに。 
 実に惜しい、と、指示にあった必要な道具を一通り揃えながら彼女に欠けているもっとも重要な発想をどう補うかについて活発に意見飛びかう脳内会議を開催していたら、目を疑うような光景が彼の前に出現した。
「あ、ホース出しといてくれたんだ、ありがと。ここらもけっこうヤブ蚊出るらしいのよねー」 
 あんたも虫除けスプレーかけときなさいよ、と言いながら現れたかなめは、薄手の白っぽいTシャツに片側がつり上がったような妙な形のスカート姿である。
 全体の長さや生地の薄さもさることながら、短く結んだ側はほとんど足の付け根がむき出しという異様な形状で、一瞬唖然とした宗介は即座に浮かんだ感想と身体反応のすべてを脊椎反射で押さえ込み、手早く地面にうねる年季の入ったゴムホースをつかむと水道の蛇口をひねった。
「使う?スプレー」 
「いや。問題ない」
「あー、なんかすごそうなの持ってそうだもんね、あんた。スプレー大好きだし」
「………」
 いつも以上に無表情かつ興味のない様子の見た目とはうらはらに目のやり場に困った宗介は、かなめと背中合わせに立って反対側の草木や花壇にホースの先を向け、それとなしに周囲を警戒しながらまんべんなく水をかける。乾ききったコンクリートがゆるい炭酸水をまかれたように泡を立て、温度の高い土からゆらゆらとかげろうが立ち上った。
 あんたにホース取られたらあたしじょうろなんですけどー、と口をとがらせた彼女は、ブリキの園芸用如雨露に満タンに水を入れ両手で持ち上げてみて、うわ、と顔をしかめた。五リットルは入っているだろうか、思っていたより重い。
 いったん如雨露を地面に下ろして宗介の方を見やれば、こちらに背を向けた彼はそういった作業にも経験があるのか、手慣れた仕草で汚れたホースをたぐっては広い範囲に水を蒔いている。
 細かく散る水の流れに浮き上がる透明な虹にしばし見とれたかなめは、水がこぼれるのもかまわず、少々ヤケ気味に重い如雨露を持ち上げた。
 全く持てなくもない以上ホースと換えてくれというのもしゃくで、次は半分ずつ汲むか、とふにゃふにゃしたビーチサンダルの足下をふらつかせつつ、大貫氏の丹精のおかげか花の勢いのいい花壇の前に立つ。
 また地雷とか罠とか埋まってたら、締め上げてやる。
 中身をぶちまける勢いで傾けても、名人の手になる園芸専門如雨露から振りまかれる柔らかな雫はごくごく柔らかに優雅に広がって、丁寧に花々を潤していく。つまり、水がなかなか減らない。
 ま、まあ大貫さんがいない間に枯らしたりしたらコトだし。
 こういう時、男子がしんどい方を代わってくれるもんだなんていうのは、クラスの女子が困ってたら言うけど、ほんとはズルかもってあたしも何となく思ってたし。
 大丈夫か、なんて向こうから言われたら平気平気~とか自分で言っちゃうに決まってるし、そういう自分の方が、好きだと思ってるし。
 たいがいの男子相手だとそういうノリ、だし。
 ソースケならこういうときうまく助けてくれると思うのはどっちかっていうといつも何となくしちゃってる買いかぶりで、そもそもコイツはあたしのことを、本当はあんまり女の子扱いしてない。
 ASで投げてみたり暴走トラックの運転代われって言ったり、しょうがない事情だったとは思うけど、クルツくんが同じ事しそうかって考えたら、あんまし、ない。
 …テッサと一緒に人質になっててもあたしは後回しだった、とかも。
 実際、テッサよりあたしの方が足も速いし力も強い。結局あたしもテッサもソースケも生きてるんだから、あれでよかったんだと、思う。
 けど、―テッサの方が、組織にも、あいつにも、あたしより大事かもしれない、なんてことは、まだ誰もあたしには言わないしあたしも確かめたことはないけれど、正義の味方の秘密組織だなんて言ったっていざとなったら仲間の方を助けたいかもで、いくらソースケがあたしの護衛だってもそれはあたしより向こうの都合でそうなってるだけで。
 だったら、自分より偉い人で、あたしより可愛くて守りがいのあるあの子の方、が、―…
 だってあたしが知らないだけで、もうずっと前から二人にいろいろあったって、それは今もあったって、おかしくない、から。
 あたしは重いものを自分で持てる自分が好きだけど。
 あたしの知ってる限りの男子や聞いた話なら、重いものを自分で持てない、かよわい子の方が、守りがいもあるに決まってる。
 あたしだって、誰かに頼られたら嬉しい。なら、きっとコイツだってそれは同じで。
 誰かのお荷物になるのなんかごめんだって思うあたしのかわいげの無さは、あたしが一番よく知ってる。
 ブリキの持ち手の縁は出来がいいのか、握りしめても手の平が切れるほどには食い込まない。それでも充分痛かった。
「あーもー!!」
 空になった如雨露に思い切り全開にした蛇口から水をいっぱいに入れたかなめは、如雨露の先を抜いて幅の狭い芝生の上に置き、目についた溝に向かって枯れ草のくずや砂埃を思い切り流してやる。
 数度繰り返すとあたりは水びたしになったが、細かな汚れは片付いてすっきりした見た目になり、そのぶん重労働を一人でこなした彼女の紅潮した頬や首筋は流れる汗で濡れそぼった。
 少し離れたところからちらりと彼女の様子をうかがった宗介は、作業に熱中している彼女に文字通りの水をさせば恐ろしいことになる気がして、再び視線を戻す。
 常とは違い、長い髪を高い位置に結った彼女の真白なうなじに張り付く幾筋かの黒髪も、下に着ているものの色や形を透かすほど汗の染みたシャツも、長く眺めていることは酷く下衆な行いのように思われて、目を逸らしたかった。
 強く空気を吸い込めば、熱く湿った肌や粗く乱れた呼気の甘い香りに惑わされそうで、うかがうように細く息を吐く。
 これほど整った容貌と手練れの戦士に負けない意志を持つ彼女の側にいて、彼女を護る誇らしさだけでなく、自分がひどく穢れ劣った存在であるような心持ちになるのは、いったいどういうことなのだろう。それも一度や二度ではなく。
「だー、あっつー…」
 手の甲で額をぬぐいながらぼやいたかなめは、汗のにじんで色の濃くなった宗介の背中をふと見やる。炎天下のもとでも相変わらずな、いっそ涼しく見える顔でホースをたぐっている彼も担当箇所の水やりは終わったらしい。
 そんじゃ、いっちょ行きますか。
 ハデに水を使ってもろもろ洗い流した気分の彼女はニヤリと笑うと、仕上げとばかりにブリキの大きな如雨露いっぱいに水を入れて両手に抱え「ソースケ!」と叫んだ。
「何だ、ちど…」
 突然の大声に何ごとかとふり向く彼にむかって如雨露の中身を一気にぶちまけた彼女は、空になった如雨露を芝生の上に放り出すと、彼のひるんだ隙をついてホースを奪い取り先を強く押しつぶして「どりゃあああああ!!喰らえ必殺の超・流・波ーっっ!!続いてウォータージェットおおお!!とどめにうーやーたー!!」と先日暇つぶしに深夜再放送のアニメで見た水関係の必殺技らしい名称を連呼しつつ、返り血ならぬ返り水で自身もしとどに濡れるのもかまわず宗介に水を浴びせ続ける。
「どーよ、参ったか!!」
 もともと犬に似た印象の宗介は、濡れ鼠になるとぼさぼさ頭のせいで、ますます野良犬っぽい見た目になった。
 突然ただの水道水に攻撃された彼は、彼女の行動の真意が読めずしばし考えたが、要するに今のは自分の何らかの失態を止めるためのものではなく、年の近い同僚のクルツ・ウェーバーが彼にしかけるような単純なおふざけである、と理解したらしい。
 宗介は頭をかばっていた腕を下ろして口元をへの字にしたまま、ずぶ濡れのシャツを手早く脱いでまとめ、力をこめて思いきり絞った。足下に広がる黒々とした水たまりに、ジャっと水が落ちて飛沫が上がる。
 それから片手で無造作に濡れた髪をかき上げると、反射する光を避けるかのように目をすがめつつも淡々とした視線でかなめを見つめて、やはり感情の色の見えない口調で言った。
「濡れた衣類を着用していると体力を消耗する。着替えてこい、千鳥」
 重く垂れ下がるシャツを肌に張り付かせ頬や髪の先に水の玉を光らせて、帰国子女らしい仕草で「呆れた」と言わんばかりに肩をすくめたかなめは、水のあふれるホースを放り出す。うねるホースから飛び散る水がむき出しのすらりとした太ももに跳ねかかり、色の白い膝下に散っていた泥を洗い流してもおかまいなしだ。
「…うっさいわね、もう」
 忌々しげにTシャツを引きはがす勢いで脱いだかなめは、臨戦態勢、つまり一般人にはリラックスしているようにしか見えない体裁でいる彼女の番犬に向かって、派手な色柄の布地が申し訳程度におおっている形のよい豊かな胸をことさらに張り、馬鹿にしたように言い捨てる。
「何のための水着だと思ってんのよ。あんたもズボン脱いだら?」
 ふん、と肩先に張り付く長い髪を払いのけて彼に背を向け、かがみ込んでホースを拾うきゃしゃな彼女の足をつたって、透明な雫が滴った。
 その手がわずかに震えているのが気になって目をこらし、かなめの手のひらが真っ赤であることに気づいた宗介は、彼女が放り出した園芸用如雨露を素早く拾い上げて眉をしかめた。五リットル以上の容量はあるだろうか。長いホースはそれなりに扱いづらく泥を巻き込みもするが、素手で水を満たしたこの如雨露を持ち歩く方が負担は大きかったはずだ。
―また、だ。
 あられもない姿をためらいなくさらす彼女と二人きりであったことが、かえって致命傷のようで、打ちのめされた気分の彼はホースを片付けている彼女の滑らかな背を眺め、すぐに逸らした。華奢なかかとはきびきびとした足さばきで彼から遠ざかってゆく。
 自分ばかりが楽をしたことにも気付けず、彼女の戯れにも乗ってやれない。しかも、この国で当たり前とされる姿を直視することが出来なかったが故に、だ。
 それでも、彼女の一挙一動に息を飲むほど心が揺り動かされるのを、悟られたくはなかった。
 落ち着きのない人間に側近くを守られたい者などいるはずがない。同じ隊の兵であってもそんな相手は疎ましいというのに、ましてや自分は彼女の護衛なのだ。
 …いざとなれば彼女をあてにしておいて、現在の職場たる陣代高校では、むしろ彼女に庇護されている体たらくで、図々しいことだとは自分でも思う。
 しかも日常において彼女に親切に面倒を見られて、それが快い、などと。
 見ず知らずの相手どころか敵にさえ茶を入れてもてなすような彼女なのだ、きっと誰であろうと、今の自分のポジションに着いた相手には彼女は同じように親切にするのだろうに。
 否、…自分に対するそれ以上に、ということも有り得る。それだけの失点を重ねている可能性は十二分にあるのだから。
 じっとりとまとわりつくズボンをはいたまま片付けをする自分は、それまで想定もしていなかったような方向で惨めに思えて仕方がなかったが、それでも悲しいかな兵隊の性で、手足は勝手に動いて必要な作業をこなしていく。
 ため息をつきつつも絞ったグレーのTシャツを手頃な植え込みの上に広げて乾かしていると、如雨露の散水口が排水溝に転がっているのが目についた。

 ホースの汚れを流しながら巻き取り器のハンドルを回していたかなめは、熱くなった頬についでをよそおって水をかける。
 油断した。
 男の子って簡単に服、脱ぐんだった。
 かき上げられてまとまった髪の下、しぶしぶながら自分も認めている(正体を知らない子にはモテモテらしい)整った面差しをまっすぐに自分に向けた彼からしてみれば、自分はどうしようもなく子供っぽくてつまらない娘に違いない。
 同い年のあの子は彼の上司で有能できれいで可愛くて、ウィスパードとしても自分より数段優れていて、彼のことがなくたって自分が彼女に勝てるのは、身長と運動神経くらいしかない。この先たとえ自分がプロのスポーツ選手になったって、彼女に勝った気になんて一生なれないだろう。
 勝った気になんてならなくても、へーすごいねあたしには無理だわじゃあがんばってね、なんて言える通りすがりだったらよかったのに、あの子はどういう訳かあの馬鹿が好きなんだって、馬鹿当人に言わずにあたしに言った。
 だから、あたしには関係ないのに、関係あることになっちゃってるみたいで落ち着かない。
 コクるんなら当人にコクれつーのよ、まったく。余裕かましてんのかな。あの子ならソースケだって即オッケーでしょうよ。あたしにはぜんっぜんカンケーないけど!
 ばしゃ、と蛇口からホースを抜いてカランをひねり、最大水量で顔を洗うも水の勢いが強すぎて手のひらには少ししか水がたまらない。それでもむりやり汗を流して水も飲んで、少しずつ頭を冷やす。
 クールなタイプだなんて自分でも思わないけれど、だからこそ泣こうがわめこうが、することだけはしなくてはならない。誰かに甘えても甘えなくても、自分の面倒は結局自分自身にしか見られないのだ。
 ましてや今の自分は、家族と一緒に暮らしておらず、しかもそれを喜ぶべき身の上で。
 …一緒に暮らしていたら隠し事にしても巻き込まれる危険にしても、きっともっと大変だったろうとは思う。
 けれど彼の留守に、夜を越えるための音楽も長電話もあるけれど、おとなう者のない室内で一人きり、―彼は別に自分の家族でもなく、彼の任務で知り合っただけの、今はただのクラスメートであって。
 待ち合わせを何度もすっぽかしたことはもう、怒った。怒ってしまえば、残ったものは―…

あたしが 彼にそれを言うのは きっと間違い だから

 銀色の水しぶきの中に無骨なドアの向こうの水滴を滴らせた長い銀髪とただよう湯気が重なって見えて、固く目をつぶって頭を一つふったかなめは、やる事があってよかったかも、と巻き取り器ごとホースを持ち上げて蛇口の下にうんしょっと引き寄せ、落ちる汚れをきれいに洗ってしまう。古いホースは完全にはきれいにならないなりに、ずいぶんとさっぱりした。
 乾かすために日なたに運んだら、かなりの重量に如雨露と強い水流に痛めつけられた手のひらがひりひりして、かなめは、はっとした。
 あたし、じょうろの先っぽ、どこやったっけ。
 花壇のそばのどっかに置いて、たぶんさっき水を流したあたりか。
 思い当たりはするが、件の如雨露の真の値打ちは先端のつくりにあること、そのせいでこの類のものにしてはかなり値の張る物であるらしいこと、おかげで陣代高校の花壇や草木は近隣の高校よりも美しく整っていることを用務員である大貫氏に聞かされていた身としては落ち着かない。
 あたしにはあいつらのことなんかカンケーないのに。
 ひとの大事にしてるものを、うっかり投げちゃうなんて。
「だー、もう!」
 かなめは急ぎ足で現場に向かいながら思い出す。
 じょうろ本体はソースケが片付けてたっぽい。…あいつに水かけた時はもう抜いてたか。
 それでも一応聞かなきゃいけない、けど。先に探せるだけ探そう。
 下唇を噛んでうつむいたまま駆け出す足下、頼りない素材のビーチサンダルは急ぎの用には向かなくてもどかしい。踏み切りのタイミングと微妙にずれる足裏の感覚に舌打ちしかけたとき、ずるりと濡れたウレタンの表面が滑った。
 うわ、やっちゃった。
 服は水着だし濡れても汚れてもかまわない。けどこの格好で花壇に突っ込んだら、顔はともかく腕は擦り傷必須か。他の子にどうしたのなんて聞かれる前に、着替えて不参加、とか。
 渡すものだけ渡して帰っちゃおうかな。みんなには後で謝ればいいし。
 ソースケには、…なんて言えば。
 体の制御の効かない一瞬の間に考えだけはぐるぐる回って、頭部をかばおうとした腕は確実に花壇を囲う煉瓦の角や、ざらついた表面の犠牲になるだろうと覚悟を決めたかなめの胴を引っかけるように、太いものがやわい腹に食い込んだ。
 ぐえ、と思わずうめいた彼女をこともなげに引き起こして、ビーチサンダルごとすべる足場を蹴り飛ばすように駆けつけた相良宗介は、一拍おいて「怪我はないか、千鳥」と尋ねた。
 あの履き物は急を要する際には不向きと思っていたが、どうにか間に合った。だが鍛えられていない彼女の体は奇妙なほど柔らかすぎて、緊急時にふさわしい手助けにさえ傷を負いそうだ。
 この甘い匂いの濃さは、汗のせい、だろうか。
 濡れたせいか冷えた肌は滑らかというよりいっそ滑りやすくて、すり抜けて落ちて行きそうだった。
 必要以上に彼女にふれてはいけない。彼女はそれを望まない。彼女からふれて来る場合は彼女がそう望んだと判るけれど、自分から用もないのに彼女にふれるなどと。自分だって用もないのにべたべたさわられたら、同じ部隊の味方であっても不快になるのだから。
 強く奥歯を噛んで、胸の奥からこみ上げる熱を封じて遠くへ押しのける。
 そうしなければ遅かれ早かれ、彼女の傍らにいるべき人間は自分ではなくなってしまう。いくらでも交換の効く兵隊でしかない自分がここにいられるのは、ただ偶然パーツが合っただけのことなのだ。
「………最悪」
 なんでこのタイミングでコイツかな。しかも「ぐえ」とか言っちゃったよ。
「どこか打ったのか?」
 かけられた真剣な声に、うつむいたまま顔をしかめたかなめののどの奥が詰まる。
 いつも、こいつはこうだから。
 勘違いなんか、出来ない。
 あたしだって遠くから見てるだけなら、…遠くであの子のそばにいる、コイツのほんとの普段は、誰がどう見たってかっこいいんだろうって思う、から。
 自分を助けたまま体に回されている、この腕があったかいなんて、きっとあたしが思っちゃいけない。
「こっちの話よ」
 たすけてくれてどーもアリガトウと棒読みで言い置いて自分を支えていた傷あとだらけの腕から逃れたかなめに、視線を落として彼女の白いかかとを見つめた宗介は、控えめに用件を伝えた。
「ジョーロは、もとあった場所にしまっておいた」
「あっそ。あんたが使ってたホースはあっち。もう洗っといたから」
「…あのジョーロは君には少々、重かったのではないか」 
「べっつにー?そこらのホームセンターに売ってるもんがそんな重量物なワケないっしょ」
 楽勝だっての、と勢いまかせにいい加減なことを言い放った彼女は、NY帰りらしい軽い仕草で肩をすくめる。広げられた細い手のひらはまだ赤くて、宗介は奥歯を噛みしめた。
 手当ての必要などないだろう、だが見せて欲しいなどと頼んだところでせいぜいが冷やしてやって腫れの引くまで待つだけのこと、何の意味もない。
 彼女の行き慣れた店の常識すら、自分にはわからない。
 誰よりも有能さを示したい相手なのに、彼女の前では自分は誰よりも無能なのだ。
 知らず握りしめていた拾いものは、すぐにひしゃげそうな見かけを裏切り、思いがけないほど頑丈だった。
「ああ、あんたにはカンケーないと思うけど一応聞いとくわ。じょうろの先っぽ知らない?このぐらいの大きさで穴がいっぱい開いてる、シャワーヘッドみたいな銀色の部品なんだけど」
 良く響いてきれいだがぶっきらぼうな声で示された特徴に、宗介はしかめっ面を思わずゆるめて手を開く。彼女が形容したとおりの形状の部品がにぶく光った。
「これのことか?」
「そう、そんじゃ…って、ええ!?ちょ、なんであんたが持ってんの!?」
「そこの排水溝で拾ったのだ。ジョーロの部品のようだったのでな」
 立ち去りかけた姿勢のまま勢いよく振り向いてこちらを見上げたかなめが、部品と自分を交互に見て願いの叶った子供のように明るい表情になったので、宗介は唇をへの字に引き締めたまま少し遠くを見て、むずがゆくなったこめかみをぽりぽりとかいた。
「あー、よかった…それ高かったらしーのよ」
 ほっそりした指先を広げて凹凸もあらわな胸元を押さえ息を吐いたかなめをちらりと見やって、宗介が提案する。
「これをジョーロに装着しておけばいいのだな?」
「…えーと、うん。そうして」
 彼女はできれば自分ではめたかったな、という思いを押し込んで、ぐるぐる巻きのホースを置きっぱなしの流しに向かって歩き出す。
 今日はずっと重いもの担当だった気がするけれど、じょうろを放り出したままホースを片付け始めてしまったのは自分なのだし、運べない訳ではない。
 手の痛みを盾にとって、彼を誘えるような出来ばえの料理は当分作らないという考えも浮かんだが、どうせそこまで痛みは残らないだろうし、腹いせのつもりになれるのは自分だけで、あとで余計みじめな気分になるのもわかってしまっている。
 ここはオトナになんなきゃだわ、と軽くため息をついて伸ばした手を、僅差で追い抜くように日焼けした大きな手が巻き取り機の取っ手をつかんだ。
 当たり前のように重い荷物を下げて用具入れに向かう宗介は早足で、小走りにならないと追いつけない。本気で追いかけようとしたら目的地に着いてしまった。 
 そりゃ、重いから助かったけど!
 面倒なゲームのクリア直前で取り上げられてしまったようで、嬉しくない。ぷんぷんしながら用具入れの外で壁にもたれていたかなめは、年期の入った木の扉を閉めた宗介を上目遣いでじっとりと睨んだ。頬は日に焼けたのか熱くなっていたけれど、少なくとも睨んだつもり、だった。
 何か言おうとしたのか、小さく口を開けた宗介はすぐに他に気になるものを見つけたらしく口を閉じてそちらを向き、植え込みの方へ歩き出しながら「君の衣類を乾かそう。いい場所がある」とてきぱきした口調で言った。
「え、ちょっと、いいわよ別に。っていうかあんた自分のシャツは?」
 隣に並んだ彼女の気配を感じながらまっすぐ前を向いた宗介は、縛り付けにくいものを縛り付けるように顔面に力をこめた。
 うっすらと赤らんだ頬を少しふくらませた彼女が自分を待っていて、こちらを見上げた仕草が何故か待ちくたびれていたかのように思えてしまって、弁明を行うより先に、何かとても不適切な言動を行ってしまいそうだった。
 なぜ彼女はそんなふうに時々、摘まれるのを待つ花かよい香りの熟れた果物のような気配でいるのだろう。
 彼女は自分を待っていたのではなく作業の終了を待っていたのだと、彼は何度も脳内で唱えつつ、日の当たる植え込みへと向かう。
 植え込みの上には生乾きのグレーのTシャツが広げられていた。宗介は彼女の持っていた白い濡れたシャツを「寄こせ」と言わんばかりの手つきで取り上げて、洗濯物を干す要領でビシっと伸ばすと、植え込みの上に広げてやる。
「これですぐに乾くだろう。奇襲や偵察には向かない天気だが」
「あ、うん。さっきのホースももうだいぶ乾いてたしね。そういえばじょうろも乾いてたっけ?」
「………」
 む、と黙って脂汗を流す宗介に、「もう!錆びちゃったらどうすんのよ!大貫さんが大事にしてるって言ったばっかでしょ!?」と怒鳴ったかなめはどすどすと見たなりに合わない足音を響かせて用具入れに向かうが、すぐ後ろから追いかけてきた彼に「俺がやる、君は手を出すな」と言い張られて、しぶしぶ譲ってやる。
 …こいつ、ひょっとしてじょうろ気に入ってるの?
 かなめは、素材のサイズと質感を取っ払ってしまえば、さながら幼稚園児が可愛らしい如雨露でお砂場に水まきをするがごとくといった風情に見えなくもない妙に張り切った彼の姿に、たしか砂漠育ちだっていう話だし珍しいのかしら、なら最初から素直に代われば良かった、と眉間にしわを寄せ、強く息を吐き出しながら植え込みの側へ戻って日差しの差し込む渡り廊下の端に腰を下ろす。
 うっかり座ってしまってから落ち着かない気分になったけれど、着替える前に体についた砂埃を流す方法をいくつか数えて、腰を下ろした廊下の表面を横目で見やる。
 プールサイドに似た平たいコンクリートに染みこんだ水は瞬く間に乾いて、座った跡は残りそうもないことに、ナイスバディを濡れたビキニに包んだ現役女子高生は、ほっとした。
 ひっくり返した如雨露を風の通る日なたに置いた宗介は、不機嫌そうな彼女の横顔にちらりと目をやると、ぼそぼそと「教室の掃除用具と同じ扱いかと思ったのだが」と弁明した。
「あれだってみんなが横着してるだけで、なるべく乾かしてからしまった方がいいの!今だってときどき開けて風通してるし、よく使うバケツと雑巾はたいがいロッカーの外に出してあるでしょうが!あんたの担当のゴミ箱だって、たまには洗って乾かさないとダメなんだからね、どういう訳かあんたが留守の時にかぎって、すっごく汚れてるんだけど!ジュースだの牛乳だの飲みきらないで捨ててくよそのクラスのバカとかもいるし!そういうの、いったい誰が洗ってると思ってんの。…ああ、休み過ぎててあんたは知らないわよね。まさか学級委員も副会長も名誉職だとか楽そうだとか思ってんじゃないでしょうね?」
「…すまん」 
「わかりゃいいのよ。今度からキッチリやんなさい」
 かなめは、無表情ながらもしおたれているふうの彼から、ふん、と目をそらす。
 中学の頃に比べれば、わざわざ嫌がらせのために汚していくやつもいないし手もかからないけれど、多人数の面倒見が全く疲れないわけでもない。ましてや彼の後始末やストッパーが加われば、誰かに代わってもらいたいという気にもなる。
 雑用係だとうすうす知っていても手助けを頼むまでは無関心な生徒たちより、役職の意味も分からずというか凄まじい誤解のあげくやたら重用してくれる彼のほうに期待をかけてしまうのは、自分でも、甘えてる、と思う。
 ソースケは、ちゃんと教えたらきちんとこなすのに。
 大口を叩いてもサボり気味の自分より、仕事の合間に来るような登校日に欠かさず役目を果たす彼の方が働きものなのに、そんな彼にだけ誰にも言わないようなきつい調子で鬱憤を晴らして。
 子供じゃないか、まるっきり。
 …あの、大人顔負けの天才少女は、きっとこんなみっともないキレ方しないんだろうな。 
 強く膝を抱え、ももに当たる胸をむにむにと弾ませながらかなめはため息をついて、水滴のきらきら光る如雨露を見つめた。
 ちなみに、少し離れた隣にこそこそと腰を下ろした宗介が、顔を正面に向け遠方を凝視したまま凄まじい勢いで脂汗をだらだら流していたことにも、周囲に向けて限界まで全開の彼の視界に自分が入っていることにも、彼女は勘づいていない。
 きれいに刈り込まれた植え込みや花壇は、宗介が地雷を埋めたり爆発させたりするので、ところどころがちぐはぐに新しかったり補修してあったりする。 そういえば、とかなめはふと思う。テレビや何かの広告で通りすがりのように見る戦争中の国の映像に、埃にまみれた壊れかけの家や道路はあっても、手入れの良い花壇や街路樹を見たことはない。
 ホースはあっても、じょうろは今まで使ったことなかったのかもしれない。
 たまたま使い方を知ってる道具を使っただけで、さわってみたらじょうろの方が面白かったとか、きっとその程度のことなんだろう。
 あたしいっつもこんな調子だわ、とかなめはため息をつきながら何か他愛のない話の糸口を探して彼の方を見やると、宗介の二の腕に蚊が止まっているのに気付いた。  
「ちょっと、動いちゃだめよ!」
 言うと同時にはたき落とす。ぽろりと落っこちた羽虫に向かって「よっしゃ!」と小さくガッツポーズを取った彼女の行動に驚いた宗介は、彼女に叩かれた箇所と落ちたものを見比べて「虫か」と尋ねた。
「そう。止まったらもう刺されてるらしいけど、仇は取ってあげたわよ。…って、あんた虫除けはどうしたの」
「…ジャングルやブッシュにおけるゲリラ戦では、あれが原因で敵に所在を勘づかれる場合も多々ある」
「この学校のどこにジャングルがあるってのよ!?」
 素直に使ってないって言いなさいよ全く、とかなめは立ち上がった。水まきの用は済んでしまったが、もしこの後も「参加」するならあった方がいいだろう。
「千鳥、どこへ行く」
「教室よ。荷物取ってくるわ」
「俺が行く。君はここで待っていろ」
「いいって。それよりこれ、Tシャツ乾かすの、ここじゃまずくない?」
「…そうか?」
「大貫さん、これ見たら怒るかもよ?」
 きれいに刈り込まれた植え込みの剪定も、普段は大貫氏が行っているのを宗介も知っていた。
 う、と脂汗を流して固まる彼を見やったかなめは、はいはいと生乾きのシャツを手慣れた仕草で取り込んで自分の腕にかける。
 対宗介には狂戦士であっても、かなめにとって大貫氏はいささか説教くさいとはいえ優しく面倒見のいい初老の紳士でしかない。
 ときどきどういう訳か異様に大貫氏を怖がる宗介はともかく、自分ならこの程度の言い訳はできるだろうとふんだ彼女は、お姉さんぶった口調で言ってやった。
「しょうがないわね、帰ったらあんたのもうちで洗っといてあげるから」 
 むう、としばらく黙った彼はぽりぽりとこめかみをかいて、ぼそりと言った。
「頼む」
 年相応ではあるけれど、普段からするといささか幼げな彼の態度にくすくす笑いながら、華やかな色味の極薄の布地で裸身の一部をおおったきりの彼女が日陰と日なたのきわを歩いていく。
 頼って欲しいのにまた面倒を見られて、…それがもしかしたらただひたすらな自分への好意ゆえであったならと、何度ひとり夢想したことだろう。
 彼女にとって、護衛につく自分にこうも色々してくれるのは当たり前のことなのかもしれず、それでも君からの親切はとても嬉しくて元気づけられるのだと、役立つ兵士でなくとも労られ重んじられる存在として扱ってもらえることに、君の暖かいよく働く手がふれる全てにこんなにも温められていると、いつか伝えられるのだろうか。
 欲を言えばきりがなくなるのはわかっている。
 君のそばにいたい。自分のそばにいてほしい。
 どうか俺の隣で笑っていてくれ。
 こんなことを、今まで誰かに願った覚えはない。
 けれど自分でも戸惑うほど強いこの願いは、聞かせただけ君を困惑させるに違いない。
 ならばせめて、感謝だけでも過不足なく。
 奮い起こした勇気でもって彼女の隣に並び、開いた口から出たのは、言おうとしていたのとはまるきり違う言葉だった。
「その、…手は、大丈夫か。いささか腫れているようなのだが」
「あ、うん…、まあね、平気。ほっといたら治るわよ」
 な、なんだ、気にしてくれてたのか。
 かなめは「サガラくんてカナちゃんのことよく見てるよね」という恭子の言葉を思い出して、そんなことないってたまたまだって、っていうかコイツいちおうあたしの護衛だし、とどこへともなく言い訳しながら、もじもじと手を広げたり握ったりする。
 宗介はうつむいて自身の手を見つめている彼女の仕草に、急に言葉にならない塊のようなものが胸にこみ上げてきて、拳を握りしめた。
 ほっそりした小さな、だが常に何かしら働いている彼女の手をつかんでしまいたい。
 もしもそれで彼女の手が治るのなら、何を遠慮などするものか。
 訪れたことのあるどこかの国にそういった類の治療法はなかっただろうかと持てる限りの知識を絞り出す彼に、かなめはぼそぼそと言った。
「言い忘れてたけど、さっきはありがと。あれ、大貫さんの大事なじょうろの部品でね、……ソースケが見つけてくれて、助かったよ」
 彼女が目を上げる寸前、彼女の横顔から素早く視線を逸らせた宗介は淡々と答えた。
「そうか。偶然発見しただけなのだが、良かった」
「うん」
 二人して、しばらく黙る。
「…それと、水かけてごめん」
「いや、気にするな。俺も君も水着を着用している」 
 問題ない、と口早に言い切って宗介はかなめの顔をまっすぐに見た。勢いに押されるように何ごとか言いかけた彼の声をさえぎって、廊下の先をばたばたと数人の足音が駆け抜ける。
 即座にかなめと足音の間に割り込んだ彼は、腰を落とした姿勢のまま固まった。
 通りがかった生徒たちは一様に色とりどりかつ形も様々な水着姿で、透明な浮き輪を胴にはめたままのものさえいる。ひんやりと鮮やかな彩りに乏しい校内とあまりにちぐはぐな光景であるが、男女混成の集団はそんなことにはおかまいなしで、全員少なからずはしゃいでいた。
「あ、千鳥さんと…相良くん?」
「おおう…さすが『恋人にしたくないアイドルNO.1』ですな…」
「けしからんとはこういうことか…」
「ちょっと男子!急に止まらないでよー!」
「千鳥さん、水やりもう終わった?まだなら手伝うよ?」
「みんな急いで、時間ないし!千鳥さーん!もうすぐ始めるわよー!えーと…そっちの彼も来る?」
「いやあれサガラじゃね?」
「あ、ほんとだ。じゃ来るよね」
 わらわらと声をかけて手を振る集団に、かなめが慌てて答えた。
「え、もうそんな時間!?ちょっと待ってて、荷物取ってくる」
「待ってるよー。はいみんな行った行った!」
 ソースケも来て、とかなめに言われた宗介はわけが分からないながら慌てて彼女の後を追い、女子更衣室までついて行きかけて「もう!」と怒鳴られた。
「あんたはあっち、男子更衣室!みんな水着だから、えーとズボンは脱いで水着だけでプールに来てちょうだい」
 勢いに押されて「了解」と答えたら、「よろしい」と細腰に手を当てふんぞり返ったかなめはすましてうなずいたあと、花の咲くようににっこり笑った。
 彼は視界に強い光の満ちるような理由の解らない目眩をこらえて、指示通りの姿になりプールへと向かう。
 コンクリートの階段を上ると、プールサイドには幾枚かのピクニックシートがパッチワークのように引かれていて、かなめはすでに何ごとかの準備にかかっており、数名の女子生徒と紙皿や紙コップを手早く並べたり、ペットボトルをどこからか調達してきたクーラーボックスに放り込んだりしていた。
「アルミホイルこの辺でいいかな。千鳥さんの水着、かっこいいー」
「ありがと!そのワンピースもすっごくかわいいよ、胸のところのボタンがいいよね。じゃゴミ袋はこっち置くね、燃えるゴミと燃えないゴミって書いとこうか」
「はい、マジック。それ、こないだ海に行った時と違うやつだよね、キョーコに写真見せてもらったけど、あっちもよく似合ってた」
「あ、助かる!いやははは、あれはあのあとスイカの汁でベタベタになったんだけどねー、こっちは去年買ったやつでさ、着てるとハデっていうかいかにも遊んでそうに見えるらしくて、それ系のヤツにやたら寄ってこられてウザいし一緒にいる子も怖がるしで、ほとんど着られなかったんだわ。で、もったいないから今日着てきちゃった」
 ほらハデハデー、とかなめが腰回りにまいた布地をつまみ上げると、彼女を取り巻くかしましくも働き者な女子集団の向こう側がざわついて、宗介は酷く落ち着かない気分になった。
「そうかなー、千鳥さんは足が長いからパレオも似合ってるよ」
「へへ、どうもどうも。何も出ませんよー」
「お世辞じゃないってー」
「あたしはこういう可愛いビキニの方が目の保養なんだけどー。あーかわいいさわりたい、さわらせろおお」
「うわあオヤジがいるよ!」
「うぇっへっへっへ~」
「千鳥さん実はおげれつだー!?」
「ショックー!」
 他の女子生徒となごやかにじゃれ合うかなめは教室や生徒会の用で立ち働いている時と同じ表情で、宗介が指示を仰ぐために側に寄ると傍らの女子につつかれた彼女は、相手に軽く礼を言って振り向いた。
「やっと来たわね、ゴミ係。さっそくだけど任務よ、これそっちに置いといて。済んだら回収ね」
「了解した。ところでこの催しは何だ」
「んーと、要はヒマなみんなで一緒にごはん食べよう、ってことなんだけど。部活とか学校の用事で登校する人に水泳部主催で適当に声かけて、見ての通りプールサイドでサンドイッチパーティしようかって話になったのよ。食材は各自持ち寄りか、手ぶらの場合は参加費出すの。あんたも出しときなさいよ、あっちで集金してるから」
 そうか、と答えた彼が珍しく物騒な見解を述べないので、かなめは内心びっくりする。
 いちおうそういう経験とかあるのかな、兵隊さんだってパーティだの結婚式だの呼ばれることあるもんね、とかなめが映画などから得たうっすらとしたイメージを頭に浮かべていたら、宗介はこちらをちらちらと伺う男子生徒らを片っ端からにらみ付けて、低い声で述べた。
「ところで水泳部と君とはどんなつながりが?君はソフトボール部に非常勤として所属しているのではなかったのか」
 あ、やっぱそうくるか。
 遺恨があれば毒殺されかねんぞと言わんばかりの尋問調に、かなめは目を半眼にして肩を落とす。
「去年はちょっとヒマだったから、あちこちの部活の助っ人もしてたのよ。林水先輩も人材発掘ついでに恩は売れるだけ売れっていうしさー。ここの鍵、最後にあたしがあずかって返すことになってるしね。今日の用事も水やりだったし、いろいろ都合がよかったのよ」
「なるほど。水泳部の連中と君との関係は良好なのだな?」
「まあね。あたしが生徒会で忙しくなっちゃってからはちょっとご無沙汰しちゃってたけど、仲はいいと思うわよ?」
 そうか、とうなずいた高校生兼現役傭兵はあごに手を当て、気むずかしい顔になる。
「だが油断するな千鳥。良好な関係の人間であるからこそ、敵に弱みを握られた際には厄介なことになる。以前俺が参加した作戦では」
「ならねーわよ!」
 しかつめらしい顔で講釈をたれる番犬を、ひらめくハリセンでフェンスに向かって吹っ飛ばしたコードネーム「天使」は、とどめとばかりに虫除けスプレーを彼に向かってまんべんなくぶっかけた。
 周囲にいた数名が「はー、これが噂の夫婦漫才か…」と見守る中、何ごともなかったかのように彼女は持参の大型タッパーを保冷剤ごとシートの上に広げてあるランチョンマットにのせた。
「はい、頼まれてたタマゴディップ。あとバターナイフとスプーンね」
「やった、千鳥さんのタマゴディップすっごいおいしいって工藤さんから聞いててさー」
 工藤詩織のクラスメートである水泳部員女子が楽しみにしてたんだ、と小さくガッツポーズをする。
「今日はシオリ、彼氏と図書館デートだって」
「えー、残念だね」
「彼氏とディップを天秤にはかけないっしょ、普通」
「いやいやいや、絶品だってウワサですよ?」
「やだもー、シオリも大げさだなー」
 まんざらでもない顔のかなめの回りには、彼女にならうように持参の逸品を広げる参加者が集まってきた。
「あたしお中元のボンレスハム持ってきたー」
「何も持ってこなかった人は先に三百円、副部長に渡してね」
「やだーこれあたしんちのハムと一緒ー、焼き豚とセットだった?」
「そーそー」
「ハムはいくらあってもいい!俺が食う!」
「俺も俺も!俺も食う!」
「あ、男子は三百五十円ね」
「ひでえ!差別だ!」
「そんなことないわよ、安い方じゃないの」
 がやがやと騒ぐ色とりどりの水着の男女を見やる現役傭兵の脇腹を肘でつついて、取り分け用の紙皿や使い捨て食器を揃えていたかなめは言ってやる。
「ほら、三百五十円出して。あんたもしっかり食べなさいよ」
 そうだな、と華やかな人の輪の中に向かう彼を、かなめが群れに戻る野生動物を見送る飼育係のイメージで見送っていると、何ごとか苦戦中だった準備班の女子の中から困り声が上がった。
「ねえ、誰か切るもの持ってない?」
「え、包丁かなんか持ってこなかったの?」
「家庭科室で借りようと思ってたんだけど、鍵かかってて開かないのよ」
「かじるってのもムリだし、どうする?これ…」
 立派な網を食い込ませ分厚いビニールに密封された豪華なボンレスハムの塊を前にしてお手上げ状態の彼女らに、かなめは急いで声をかけた。
「ちょっと待って、あたしが開けてくる。誰かもう一人来て」
 走り出しかけたところへ、彼女の移動を察知した宗介が追いついて尋ねる。
「どうした、千鳥?」
「ちょっと家庭科室に、ってソースケ、あんたナイフ持ってる?」
「無論だ」
 速攻で銃刀法に違反しそうなナイフを数本どこからともなく出現させた彼に、かなめは半眼になりつつ足を止めた。見るからに肉厚で刀身の長いそれらはハムどころか野生の水牛でも丸ごと解体しそうな禍々しいオーラを発しており、水着姿の女子はおろか男子ですらイイ勢いでどっ引いているが、猛犬の飼い主たる彼女はハイハイとそこらから持ってきた手頃な段ボールにナイフを放り込んでガムテープでぐるぐる巻きにすると、すみっこに押し込んでしまう。
「アレは後で持って帰んなさい。っていうか、もっと小さいのないの?」
「…これなどどうだ」 
 宗介はやはりどこからか取り出した太めのペンのキャップを抜いた。現れたのは柳の葉のような形の刃で、ペーパーナイフによく似ているが多分用途は手紙の封切りではないだろうと察したかなめは、それも無言で取り上げてガムテープで先ほどの箱の上にべたりと貼り付ける。
「ちょっと小さいわね。切りたいのはああいうハムなんだけど」
 じゃああたし家庭科室に行ってくるから、と背を向けかける彼女に、更にどこか異空間からごついぎざぎざのついたサバイバルナイフを取り出した宗介は、素早くハムの塊をつかんで網とビニールを切り開き、中身を取り出した。
「俺がやろう。厚さを指定してくれ、どのくらいだ」
「あ、このくらい…かな」
 かなめが「どこから出したのよ!?」と突っ込む前に、飛び込み台の向こうの隅からハム係の女子が一ミリほどの隙間を親指と人差し指で示して、うむとうなずいたサバイバル戦の専門家はハムを包んでいたビニールの上で慎重にハムを削いだ。
「こんなものか」
「あ、そうそう、そのくらい!」
「切ったらこれに乗せてね」 
 徐々に側に戻ってきたハムの塊や焼き豚のブロックを持った女子及びハムの振る舞われるのを心待ちにしていた男子から、宗介が手を動かす度に「おお」という歓声が上がる。その光景はさながらデパートの実演販売で、刃物の切れ味を見せ付けるがごとくである。
「相良くんすごーい」
「上手ー」
「この程度、造作もない。他に切る物はないか」
「はいこれ!」
「じゃあこれもお願いします!」
「了解した」
 ハムと焼き豚の他に何故かトマトとリンゴとキャベツとパイナップルとチーズが置かれて、ますます「はい奥さん、これもほらこんなに」状態の真ん中で主に女子の注目を浴びてなんだか得意げな彼に、何となくむっとしたかなめはぼそりと呟いた。
「家庭科室、副会長権限で開けてこようかしら。まな板あった方がいいだろうし」
「済んだぞ、千鳥。他の用は」
「特にねーわよ。それよりあんた、この辺りにへんな罠しかけてないでしょうね」 
 自分の時ならぬ活躍ぶりを一番見せたい相手の無関心にしょげている宗介を尻目に、水泳部の代表がかなめに礼を言った。
「スケジュールチェックありがとう、千鳥さん」
「職権濫用だけどね。二、三日来ないってさ」
「何の話だ?」
 不穏な単語に思わずといった体勢で割り込んだ宗介を、ジト目のかなめはしっしっと追い払うが、よその子どもの無礼には多少寛容なママ友のごとく、水泳部代表は苦笑いと共にさらりと教えてやった。
「西野先生だとセーフだけど、小暮が担当の日だと貸してくれないんだよね」
「あいつ、生徒が好きに学校の施設使うの嫌がるからさ」
 数人の役職持ちの女子が、ねー、とうなずき合う。
「しかし施設の管理には相応の責任が」
「いいからあんたは黙ってなさい」
 ハリセンで宗介の口元をしばいた上で頭を押さえ込んだかなめは「そうそう」と皆の意見にうなずいた。
「ところで去年は助っ人ありがと。今年はうちのマネージャーに、って狙ってたんだけど、先を越されたわね」
 可愛らしい水着に身を包みながらも、いかにもきびきびとした体育会系女子は、かなめを前に残念そうにため息をつく。
「いや、ははは、ごめんね」
「副会長に持ってくあたり、林水先輩もよく見てるわ」
「そんなことないって、たまたまヒマだっただけだし。買いかぶりすぎよ」
「ソフト部の方も助っ人だっていうし、もしかして生徒会とうちのは両立できるかなーと思って期待してたんだけどさ」
「無理よねえ」
 悪意は無いなりに意味ありげな声音で語る水泳部副部長に、周囲の女子部員が賛同した。 
「千鳥さん独占かあ、いいなー」
「男子じゃなくても羨ましいかも」
「え、あ、うははははそんなじゃないって、やだなーもー」
 一瞬宗介を振り返りかけておばさんくさく手をふったかなめは、自分もパンを取りにその場を離れる。
 さっき怪我してたら、ソースケに鍵の受け渡しやらこれ届けるのやら頼むとこだったのよね。そうなってたら多分、すごく面倒なことになっただろう。
 何で仲直りできたのかはよくわかんないけど、助けてもらったことは素直にありがたかったな、と彼女が自作のたまごディップの様子見ついでに自分のパンに乗せていたら、いつの間にか隣に立っていた宗介が興味深そうにかなめに尋ねた。
「これは何だ、千鳥」
「これ?たまごディップよ。ゆで卵つぶしてマヨネーズと塩こしょう混ぜただけなんだけど、サンドイッチの定番メニューね。食べてみる?」
 宗介が無言で素早くうなずいたので、かなめは特に何も考えず彼の持っていた紙皿からパンを一枚取って塗ってやる。
 渡された簡易たまごサンドをひと口かじったのち、残りを一気に口に押し込む宗介の脇から「俺のにも塗って、千鳥さん!」「俺も!」と数人の男子が割り込みかけたが、ぼさぼさ頭の番犬が視線だけを向けたとたん全員が瞬時に凍り付き、即座に他の具の方へ散った。
「え、あ、やっぱいい、です…」
「遠慮、しときます…」
「へ?」
 状況が飲み込めず大ぶりのスプーンを握ったまま回りを見回すかなめに、宗介が口をもごもごさせながら再びサンドイッチ用のパンを渡した。
「塗ってくれ、千鳥」
「…あ、うん…いいけど」
 皆が遠巻きにちらちらと眺める中、宗介の突き出すパンにのみ彼女がたまごディップを塗ってやること数度、他の具材に比べて明らかに減り具合の悪いたまごディップに首を傾げたかなめは、念のため匂いをかいで舐めてみたが、彼女には自分の作ったものが皆に敬遠されている理由がわからなかった。
「傷んでもないみたいだし、ってことはあたしの味覚がおかしいのかな、自信あったんだけど…」
 遠慮のかけらもなく、かなめお手製のたまごディップサンドを両手に持って勢いよくかぶりついている宗介を見た彼女は、コイツならちょっとくらいおかしくても平気そうだもんね、とため息をついた。
「それ美味しいの?ソースケ」
「肯定だ」
「じゃ、これ二人で片付けちゃおうか。あんたまだ食べられる?」
「問題ない。任せろ千鳥」
 目を輝かせている宗介の向こう側、遠巻きに「あー!」とか「ぎゃー」とか聞こえてくるのは何故だろう。
「あ、ちょ、違う!違うって千鳥さん!待って待ってキャー!」
「もう食べないでええええ」
「あああ、えっとそうだ、こっちのハムとクリームチーズも美味しいよ千鳥さん!相良くんも一緒に来て!ね!」
「こっちの生クリームといちごジャムも美味しいからその後に来て!ブルーベリージャムもおすすめだから!」
「ベーコンレタストマトもね!」
 どこの露店の呼び込みかという勢いで叫ぶ女子数名は、笑顔ながらに必死である。
「あああああ美味しそう…どうしよう」
 残ったたまごディップの始末との間でぐらつくかなめに、もう一押しとばかりに声がかかる。
「から揚げにからしマヨも明太子マヨも、まだたくさんあるわよ!」
「ポテトサラダもきゅうりもあるよー!」
「さっきサガラくんが刻んだキャベツと果物はこっちだから!」
「ちょ、ちょっと待ってえええ」
 かなめは腹具合と自作ディップの残量を秤にかけて、未だたまごサンドに食らいついている宗介を見やり、いけると踏んで立ち上がる。
 当然のように彼女の隣に並んで宗介がその場を離れるやいなや、たまごディップの前に女子数人が駆け込んでスプーンをタッパーに突っ込んだ。
「やりぃ、たまご大盛りー!自分でだし!」
「あたしもー!自分で大盛り!」
「え、ちょっと、危ないってそれ!」
 かなめがあわててで止めに入るが、ミュージカル女優が一斉に振り向くがごとき所作で、並んだ女子ら全員が輝くような笑顔を彼女に見せる。
「大丈夫、全っ然傷んでないよ!」
「みんな大好物だから、お楽しみに取ってただけなんだって」
「そ、そうなの?」
「そーそー、だから気にしないで!お願いだから」
 男子がたまごディップのタッパーの前に立つと即座にぎらついた視線が投げナイフのごとき鋭さで飛ぶので、かなめの代わりにたまごサンド係に付いた女子が目の幅涙を流して頭をふる。
「千鳥さん、鈍い…鈍すぎる」 
「ていうか、あそこまで高校生男子がなりふりかまわないって普通思わないっしょ」
「あーよかった…食べ損ねるとこだった」
「もー、何のために人気メニューを料理上手に頼んだと…」
「しょうがないよ、相良くんで千鳥さんだしさー」
「よねー」
 苦笑と失笑で溢れかえるプールサイドで、騒ぎに気付くこともなくほおづえをついていたかなめは、おお、と持っていたサンドイッチを見つめる。
「ハムとクリームチーズも美味しいわね」
「うむ。肯定だ」
 あたしのディップとどっちが美味しい?とか、聞いても、こいつには何でも美味しいんだろうし。
 そもそもあたしがそう言うこというのって変ていうか似合わないって言うかー。テッサならかわいーく言いそう。だけど。
 美味しいもので腹が満たされていると、そういうめんどくさいことにも耐えやすくなる。
「ほらソースケ、ほっぺ」
「?」
「たまご。ついてるわよ」
 怪訝な顔の宗介の頬に素早く手を伸ばしたかなめは、日焼けした傷だらけの頬からディップのかけらをつまんで取ると、無意識に口へ持って行きかけてあわてて紙皿のふちを見、さらにプールサイドになすりつけようと手を下ろして固まったたところへ「だれかウェットティッシュいる人ー!」と水泳部女子が声をかけていたのに、速攻で乗った。
「はい、あんたのぶん。…何よ?」 
「いや。何でもない」
 困るのならば俺がそのかけらを食うぞと言いそびれたあげく、かなめの顔にも自分が清めてやれるような何かがついてはいまいかと注視した宗介は、数枚のウェットティッシュを手に沈黙した。
 窮地を救われて気が軽くなったのか、かなめはうきうきと彼に話しかける。
「これいいわね、みんな呼んで今度うちでもやろうかな。風間くんとオノDはソースケが声かけといて」
「了解だ」
 自分は参加決定と悟って、彼女の隣で同じものを作ってもらって食べていた大型軍用犬の耳としっぽがピンと立つ。
「あんたはトマト持って来なさいよ、間違いないから」
「了解した」
「へんなお肉とかレーションは絶対!要らないからね」
「…承知した」
 かなめは不本意そうな彼の声をわずかな変化から読み取って、ふふふ、とおかしそうに笑う。
 誰にも邪魔されず二人きりであったなら、先ほど言いそびれたことも伝えられるのだろうか。
 彼女の笑顔を前にした宗介は眩しげに目を細めたが、その表情が水面の反射のせいだと思っている彼女は、彼の位置からは現時刻において水面は光って見えないことに気づかなかった。

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